執筆者:桜井悌司(NPO法人イスパJP)

 

ラテン系の国々に16年弱駐在したが、その間どうすれば人脈が広がるかにつき真剣に考えた。私が所属したジェトロは、商品を売買するのではなく、情報やサービスを提供する組織なので、机に座っているだけだと全く仕事にならない。相手側からのアプローチも比較的少ない。 その点、JICA(国際協力機構)やJBIC(国際協力銀行)などは、組織の性格から、座っていても相手側からアプローチしてくる。なぜなら、JICAは、相手国に政府開発援助(ODA)を使って、資金、機材、人材を供与する組織であり、JBICは、多額の資金を融資する組織であるからだ。ジェトロは、貿易振興や投資誘致を目的とする組織であるが、アプローチしてくる人々は、日本との輸出入に携わる人々や日本から投資の受け入れを希望する中央政府、地方政府や日本資本との合弁に関心のある企業となる。

 

そのため、宿命的に、ジェトロはお役に立つ組織だということを関係者にしっかりアピールする必要があり、こちらからアクションを取らねばならない。関係機関との人脈を以下に広げるかが最大の課題となる。色々試行錯誤した結果、外国の要人と仲良くなる最も効果的な方法は、食事を伴にすることであるという結論に達した。一度でも一緒に食事をすれば、意思の疎通が容易になり、仲良くなる。このことは、日本人のみならず、外国人に対しても当てはまる。とりわけ、ブラジル人やラテン系の人々には、大いに有効である。

 

70年代の初めに、ジェトロで担当した仕事は、外国の政府やジャーナリストの有力者

を日本に招待し、アテンドすることであった。2週間くらいの期間で、日本各地を旅行し、日本の要人との面談をアレンジし、日本に関する理解や認識を深めてもらうのが目的である。朝から晩まで随行するので、最初は大いに苦労したが、徐々に外国の要人との食事も苦痛でなくなってきた。彼らの日本に対する関心は結構高く、毎日山のような質問をしてきた。最初はほとんどうまく回答できなかったが、帰宅後、質問事項の回答を用意し、説明するようにした。わかったことは、どの外国人の有力者も同じような質問をしてくることだった。おそらく80%くらいは同じ質問なので、慣れてくると残りの20%の新しい質問に対して調査し、回答すればいいことになる。

 

最初の駐在地のメキシコでは、1カ月に8回、外部のメキシコ人と食事をすることをノルマとした。私の仕事の内容は、PRと展示であったが、6名駐在員の末端所員であったため、自由度が少なく、ノルマの達成は容易でなかった。外部のメキシコ人であれば、誰でも良いわけではなく、仕事に関係するような人物が対象である。見知らぬ人に、突然食事を誘うわけにはいかない。何故なら、食事のアポイントを取るには、1度か2度面談し、ある程度親しくなって初めて食事の招待が可能となるからである。メキシコでは一生懸命努力したが、結果的には、8回に少し届かず、ノルマを達成できなかった。

 

次の赴任地は、チリのサンテイアゴであった。サンテイアゴ事務所は、駐在員1人事務所であったので、目標を高め、月に12回とした。前回の不達成を反省して、達成できるメカニズムを考えた。前任者がロータリークラブに入っていたので、私もロータリークラブに入会することにした。なぜなら、毎週水曜日にランチの例会があり、毎回、異なるロータリアンと食事を伴にすることが出来るからである。会員は、弁護士、医者、外交官、多国籍企業のトップ等が入っており、著名なアナウンサーであるハビエル・ミランダ氏や後に大統領になったフレイ氏などがいた。地方出張も多く、各地で極力食事を共にするように努めた。レストランに招待したり、招待されたり、家に呼んだり呼ばれたりし、積極的に食事のアポイントをとった結果、目標を悠々達成することができた。食事の効用がわかったのは、この時期であった。例えば、政府の要人に最初にアポイントを申し込むと、要請レターや略歴書の提出を求められることがある。ところが一度でも食事すると電話一本でアポイントがとれるようになり、種々の情報も入手できる。

 

ミラノとサンパウロの駐在時代には、コレステロール過多のため、特に食事のノルマは設定しなかったが、極力食事によって人脈を開拓するようにした。ミラノでもサンパウロでも、ロータリークラブにも入会した。ミラノでは、カリプロ銀行のベルトラミ会長にパドリーノになってもらった。結構敷居の高いクラブであったが、可能な限り出席するようにした。マルペンサ空港見学会やスカラ座のオペラ見学などもあった。イタリア経団連との共催による地方での対日輸出セミナーを開催したこともあり、食事の機会は多かった。サンパウロのロータリークラブは、入会金が無く、月例会費も昼食代+αくらいであった。メンバーは40人くらいであったが、みんな気さくで、開放的であった。ビジネスマン、医者、弁護士、コンサルタントなどがいた。

ここでもJICA,MDIC(開発商工省)との共催による「対日ビジネス・オポチュニテイ・セミナー」に参加し、ブラジルの多くの州で州政府や州の工業連盟の幹部と会食する機会があった。

 

楽しく会話をしながら、外国人と食事を伴にすることは、一見容易なことと思われるが、なかなか難しい。面談のアポイントの場合、与えられた時間は、30分とか1時間で、特定のテーマについて、一方的に質問したり、意見交換するので、話題が他の分野に及ぶ可能性は少ない。しかし、食事となると、ブラジル等ラテンの国では、まさにセレモニーなので、日本のようにクイックランチとはいかない。短くて1時間、長い場合は、2~3時間に及ぶ。理論上、2人だと2分の1、4人だと4分の1が自分の話す時間である。話題は仕事のみならず、家族、趣味、文化、芸術、音楽、人生観、政治、経済、経営等広範囲に及ぶことになる。日本のことだけでなく、駐在国のメキシコ、チリ、ブラジルや中南米、世界にも話題が飛ぶ。最初はなかなかうまく行かない。しかし、過去の種々の経験が役立ってくる。ラテン諸国には、映画大好き人間が多いので、映画の話は結構盛り上がる。サッカー、バスケットボール、バレーボール、野球などのスポーツも話題となる。イタリアでは、オペラ、音楽も話題になる。、常にフットワーク軽くあちこちに出かけ話題収集に余念の無いようにする、常にリベラルアーツ力を高める努力を怠らないようにすることが必要だ。話題が途切れないように、常に質問事項を用意しておくことも忘れてはならない。食事は、お互いに相手の性格、教養や力量を判断する場となる。継続して付き合う必要がないと判断されれば、次に食事を誘っても受けてくれない。要するに、食事は、チャレンジングな戦争のようなものである。