執筆者:桜井悌司(NPO法人イスパニカ文化経済交流協会)

 

 

「要因5」パイオニア的役割を果たした個人

 

チリワインの輸入においては、上記の組織による輸入促進に加えて、個人も活躍した。ここでは2名を紹介する。

 

  • 日本ワイン販売(株)社長渡辺正司氏

1980年代のボトルでのチリワインの輸入と言えば、表10に示したように、

1985年には、2,259ケースと微々たるものであったが、86年、9,384ケース、1987年11,212ケース、1988年、7,736ケースと少量ではあるが、急激に伸びた。急増の原因は、愛知県豊橋市で木材業を営む渡辺正司の輸入によるものである。同氏は、日本ワイン販売(株)を立ち上げ、チリの輸出業者のベルナルド・べベル氏とサンパペドロ社の輸出部長のダグラス・ムーライ氏と協力し、細々ではあるが、輸入を始めた。チリには、何度も足を運び、本格的にボトルワインの輸入を始めた。しかしながら、当時は、チリワインと言えば、バルクワインで日本のワイナリーがミックスして、日本製と称して販売していた時代であった、そのためチリのボトルワインの知名度は極端に低かった。そこで、同氏は、豊川稲荷の参拝客にお土産として販売するアイデアを考えた。ラベルも「成田詣」や「イナリワイン」に替えた。またチリの女性をワインのプロモーターとして日本に招き、展示会、デパート、酒屋さんで積極的にプロモートした。サンペドロ社の高級ワインのCastillo de Molinaも輸入した。1990年から1992年まで、FOODEXに単独出品し、Santa Helena社、 Errazuriz Panquehue社、 Manquehue Rabat社のプロモートも行った。同氏はまさにチリワイン普及のパイオニアと言えよう。

 

  • 和田浩太氏

和田氏は、2001年にチリに渡り、2003年にチリ・カトリック大学の醸造学部でワインづくりを学んだ。最初はバルクワインのネゴシアンとしてチリのバルクワインをドイツ、米国向けに輸出する仕事に従事した。

2006年に日本に戻り、会社を興し、通販酒販免許と酒類卸免許を取得、チリワイン専門ショップ・ユヤイを開店した。小規模生産者の優良ワインの輸入卸、ネット販売および上野で店頭販売を5年ほど続けた。チリの小規模生産者のワインは、自社輸入し、また、大手のワイナリーは日本のインポーターから仕入れた。その間、チリワインの専門性から、日本のワイン専門雑誌や大手雑誌のワイン企画にも多数記事を寄稿した。

自社輸入ブランドは30生産者以上、日本国内仕入れは、ほとんどのチリワインを扱っていた。のべ500種類以上のチリワインを扱う日本唯一のチリワイン専門店で、卸免許も取得していたため、特に小規模生産者の高品質ワインは、大手百貨店、ワインショップ、レストランに納品していた。

2011年の震災後、家族でチリに戻ることを決意し、徐々に店じまいを行い、現在はワイン造りに注力している。2008年から現在の三菱食品のチリワイン・エージェントを担っている。生協初のPBワインを開発し、和田氏の顔入りで全国の生協で私の作るワインを三菱食品経由で納品している。

同氏は、ワイン造り、ワイン輸出、ワイン輸入、ワイン卸、ワイン小売り(通販/店頭)と、ワインに関するほぼすべての工程に関わってきた経験を活かし、パートナーと協力し、チリワインの世界への輸出を手掛けている。このように、同氏は、チリの中小ワイナリーの対日輸出に多大なる貢献をしたと言えよう。

 

「要因6」  ジェトロの活動と貢献

 

1)筆者の駐在時代

1984年12月から1999年6月まで、ジェトロのサンテイアゴ事務所長として4年半チリに駐在した。当時のチリワインの対日輸出は、今から考えると信じられないくらいごく少量であった。当時、日本のワイン会社や商社はチリのバルクワインを輸入し、日本のワインとミックスして日本の消費者には「日本製」として売っていた。したがって、チリワインのアイデンテイテイが存在しなかっった。それゆえチリのワイナリーは、ボトルワインの対日輸出を強く望んでいた。しかし、チリワインの知名度はほぼ無きに等しかった。チリ政府やチリのワイナリーにとって、バルクワインではなくボトルワインの対日輸出は、悲願であった。

 

表10 当時のチリワインの対日輸出の統計を見ると下記の通りである。

ボトルワイン バルクワイン
1985年 2,259ケース(29千ドル)
1986年 9,384ケース(127千ドル 1,022千リットル(449千ドル)
1987年 11,212ケース(130千ドル) 2,059千リットル(1,126千ドル)
1988年 7,738ケース(137千ドル) 2,481千リットル(1,321千ドル)

出所:通関統計

 

そこで筆者は、何とかしてチリワインの対日輸出に協力したいと考えた。まず身近なところで、ジェトロが持つ媒体である「通商弘報」(日刊貿易情報紙)にチリワイン事情につき多数執筆した。ボトルワイン、水産物等日本への輸出が可能な産品の輸出事情につき、積極的に執筆し、1986年、12本、87年、15本、88年、24本、89年上期、14本、掲載してもらった。次に、チリのワイナリーや輸出業者への働きかけが重要との判断で、チリのワイン輸出業者に対する対日輸出セミナーの実施することにした。アルゼンチン対象のプログラムではあったが、本部にお願いし、チリにもワインの専門家に来てもらうことになった。1986年2月には、有坂芙美子氏(ビノテーク誌編集長)、1986年6月 田崎真也氏(ソムリエ日本一、後に世界一)を招へいし、チリのワイナリー訪問やチリのワイナリー対象の「対日輸出セミナー」をプロチレ(チリ貿易発展局)と協力して組織した。

当時、日本ワイン販売(株)の渡辺正司社長とのチリワインの対日輸出に向けての共同事業を手掛けたが、これについては、チリワイン普及に果たした個人の所で紹介した。

失敗に終わったワインプロモーションについて紹介する。1988年のチリワインの収穫祭に日本のNHKといテレビ朝日を招待する計画を策定し、Concha y toro社と San Pedro社の予算で実現寸前まで進んだが、パナマのノリエガ将軍事件が発生し、幻に終わった。

 

2)貿易開発部の事業

ジェトロの貿易開発部は、発展途上国の輸出振興や産業開発を支援する部門であるが、1995年以降、ブラジルやアルゼンチンのみならず、チリのワインやサーモンの対日輸出に協力するためのPLAN事業を行った。その内容は、ラテンアメリカの日本市場でのプレゼンスをあげるためにFOODEX(国際食品・飲料見本市)でのナショナル・パビリオン設置への協力やボトルワインとサーモンを対日輸出重点品目に選定し、支援することであった。当時のプロチレの東京事務所長のDARIO GUZMAN氏は、昔、ジェトロ・サンテイアゴに勤務していたこともあり、協力関係は極めて緊密であった。①対日輸出有望産品発掘専門家をチリに派遣し、FOODEXチリブースへの出品を目指しての対日輸出有望産品の発掘、②プロチレのイニシアティブによりワインを含むチリ産食品の対日売り込みミッションが派遣の際のビジネスマッチングの実施、③ワインを含む食品の「パッケージ改良支援事業」の開始(1996年~2000年) PROCHILEがチリ産品の対日輸出を強化したこともあり、ジェトロは、側面的にチリの対日輸出を支援するために、パッケージングの専門家である当時雪印乳業に勤務していた佐々木敬卓氏をチリに数年にわたり継続的に派遣し、現地企業の指導を行った。

 

3)稲葉公彦所長の時代(1996年4月~1999年9月)

まず、最初に行ったことは、1996年10月~11月 チリの食品・飲料製品の対日輸出可能性を探るために、池田公俊氏(K.I.M.コンサルタント社社長、いかりスーパーマーケット元商品開発部長)をジェトロ専門家としてチリに派遣したことである。池田氏の帰国後の提言により、1997年3月にいかりスーパーマーケットの行光博志社長を団長とする「訪チリ食品買い付けミッション」の派遣が決まり、ジェトロ・サンテイアゴが受け入れた。BALDUZZIとBOUCHONという2つのワイナリ―から買い付けた。BALDUZZIのワインは、20年以上にわたり、いかりスーパーマーケットのプライベートブランドとして定着している。

さらに、1998年3月 ジェトロは、再度行光社長を団長とする買付ミッションをチリに派遣し、5つのワイナリーから買い付けた。

その後、別のダイエー向けに食品輸入を行っている企業の方を専門家として、ジェトロ

はチリに派遣した。その際には、30前後のワイナリーからサンプルを集めて、ワインの試飲会を実施、その中からかなりの数を選んで、同専門家からダイエーに提案してもらった。

 

4)内尾雄介所長時代(1999年9月~2002年11月)

当時、食品パッケージング改良支援事業(1996年~2000年)というプログラムがあり、同じ専門家を継続的に派遣し、パッケージングの改善を指導した。

加えて、オーガニックワイン、オーガニック食品の対日支援プログラムがあり、オーガニックのワインや加工農産物の対日輸出有望産品発掘にも乗り出した。オーガニック認証と同産品発掘の本部派遣専門家2名(山口ジュリア氏と丸山豊氏)を受け入れ、チリ国内を巡り、発掘した産品を貿易開発部が日本国内のオーガニック食品見本市に出品した。

 

5)大久保敦サンテイアゴ所長時代(2002年11月~2008年4月)

大久保所長の時代は、日本チリのEPA締結で関税が段階的に削減された時代であった。

PROCHILEとチリワイン協会は共同で日本のワインEducatorや著名なソムリエ、ワインジャーナリストを定期的に招聘してブランドイメージ確立を図った。有坂芙美子氏や田辺由美氏などが招へいされた。招聘者も欧米のワインの知見はあっても新世界ワインの情報は限られていたため、利害が一致したものである。両者は当時日本市場開拓に成功したオーストラリアをべンチ・マークに彼らの取り組みを研究していた。

これまでの大久保敦所長の貢献は当時、日本とのEPA締結を契機としたワイナリーや業界団体からの相談に応じ、通商弘報でワイナリーを紹介し「チリワインの世界」というWEBサイトを立ち上げたことである。同サイトはソニー出身者にWEBサイト作成を依頼し、チリワインの歴史、ワインバレーと各ワイナリーマップ(各ワイナリーWEBサイトとリンク)、産地呼称やワイナリー、国際コンクール受賞情報、写真集等をワンストップで紹介したものである。その狙いはチリワインの世界の体系的に紹介してブランドイメージを確立することにあった。 当時チリワインの世界を体系的に紹介する日本語がなく、同サイトはチリ、ワインでGoogle検索するとトップになっていた。しかし、その後ジェトロ全体のWEBサイト管理が厳格化され、組織の方針に合わない同サイトは更新されなかったが、チリワインのイメージの確立・普及に大いに貢献したと考えられる。

「要因7」 PROCHILEの活動と偉大なる貢献

 

チリ外務省の輸出振興機関であるプロチレ(チリ貿易発展局)の偉大なる貢献は決して忘れてはならないものである。ワイン関係に携わる人々やジェトロ関係者は必ずプロチレの活動を高く評価する。プロチレの業務は、チリのあらゆる輸出可能品目を世界に輸出することである。

プロチレは、1974年、チリ外務省の1局(国際経済関係総局〉として発足し、チリの輸出振興を担っている。現在42カ国に56の海外事務所を設置している。東京にもずいぶん昔から大使館の中に事務所を構えている。プロチレは、輸出産品の発掘、輸出マーケテイング調査、海外見本市への参加支援、売り込みミッションの派遣、海外バイヤーズの誘致、ビジネスマッチング等である。

今回も取材のため東京のプロチレ事務所のハイメ・リベラ氏と意見交換を行い貴重なデータを入手することができたが、過去の日本へのワイン関連のミッションの派遣、食品・飲料関連の見本市の参加・組織実績のリストは、残念ながら入手することはできなかった。そこで1つの例として参考にするため日本で最大の国際食品・飲料見本市のオーガナイザーである日本能率協会に依頼し、過去44回の外国出展者の記録をチェックした。ここでもすべての出品者カタログは揃わなかったが、ジェトロが発展途上国の企業に対し支援を開始した頃からのデータを調査した結果が、表11である。ジェトロブースと言うのは、ジェトロが支援した出展で、ナショナル・パビリオンと言うのは、プロチレ自身がチリ企業のために組織・参加したものである。2001年以降、2007年まで連続して、チリ・ナショナル・パビリオンを構えた。その間、84社のチリ企業が出展したが、そのうち、ワイナリーの参加は、30社と全体の36%に及んだ。これ以外に、プロチレは、調査、貿易相談、ミッション派遣、ビジネスマッチング、ジェトロとの強力事業等で、極めて熱心に対日市場攻略のために最大限努力した。

表11 チリのFOODEXへの参加状況

参加形態 出展社数 うちワイナリー数
1998 ジェトロブース 8社
1999 ナショナル・パビリオン 8社
2000 不明、資料はないがおそらく出展したものと思われる
2001 ナショナル・パビリオン 23社 6社
2002 ナショナル・パビリオン 9社  3社、
2003 ナショナル・パビリオン 14社 4社
2004 ナショナル・パビリオン 16社 8社
2005 ナショナル・パビリオン 11社 5社
2006 ナショナル・パビリオン 9社 2社
2007 ナショナル・パビリオン 2社 2社
2010 ジェトロブース 2社
2011 ジェトロブース 2社
2013 ナショナル・パビリオン 4社
2017 ナショナル・パビリオン 8社

 

プロチレに加え、Wines of Chile A.G.(チリワイン協会)についても触れておこう。この組織は、2007年4月に設立された。Wines of Chile A.G.とチリブドウ協会(Chile Vid A.G.)が合併したものである。目的は、チリのワイン産業の協会活動を統合し、チリをプレミアム・ワインのナンバー1のプロデユーサーにすることである。そのためにマーケテイングやプロモーション活動を行っている。海外事務所として、米国(ニューヨーク)、カナダ(トロント、バンチャ―)、ブラジル(サンパウロ)、英国(ロンドン)、中国(上海)に事務所を構えている。

2017年には、プロチレ東京事務所は、Wines of Chleと協力して、前述の田辺由美著の「テロワールに恵まれたチリワイン」を発行している。

 

 

「そして今後の課題・チャレンジは」

 

チリの最初の念願は、バルクワインからボトルワインへのシフトとそれに伴うチリワインのブランド確立であった。この点については、チリワインは、日本市場のみならず、世界市場で成功したと言えよう。しかし、次の課題・チャレンジは、安価なワインからより高価なワイン、より高品質のワインへシフトするかである。アサヒビールが「アルパカワイン」と言う名称で非常に安価なワインを売り出した。このことは、日本市場でのワインの普及には繋がったが、より高級なワインへのシフトを目指すチリ政府やチリのワイナリーにとってハッピーなことではない。

 

表6を見れば、中国、韓国、ロシアなどでチリワインの需要が今後とも高まることが予想される。前述のWines of Chileも中国でのプロモーションには、相当のエネルギーを投入している。2016年以降、デジタル・マーケテイング・キャンペーンを展開し、中国人の消費増に着々と成果を挙げている。またアジア諸国でもワインを飲む人口が増加することが考えられる。したがって、今後とも日本としては、安価なワインを求め続けることは難しくなってくるであろう。プロチレやWines of Chileもチリの高級ワインのプロモーションに力を入れることになろう。