「カーラジオを盗まれた話」
セビリャ万博の準備で忙しかった頃、仕事終了後、事務局員を誘って、サンタ・クルス
地区にあるスペイン料理店に出かけた。おいしい食事とワインを飲み、ご機嫌で駐車しておいた自動車のところに到着したところ、車の前の3角窓が割られ、自動車用の携帯ラジオとスーパーで買った食品が盗まれていた。当時、セビリャでも麻薬中毒者が多く、薬欲しさに自動車の携帯ラジオを盗む泥棒が多いとは聞いていたが、自分の車がその被害に会うとは夢にも思っていなかった。なぜなら、その駐車場は、何人かの見張り番がいたからである。安心していたのが間違いであった。携帯ラジオと3角窓の被害もあるので、翌日早速、被害届を発行してもらうべく警察署に出かけた。日本では、警察は犯人を捕らえることが期待されているが、ここセビリャでは、犯人を捕まえる気などは始めからない。あくまで、被害者の申告に基づき、保険の求償等のため、被害届を出すのが仕事である。多数の被害者が警察署に来ているとみえて、極めて事務的に処理される。いつ、どこで、どのような状況で盗難に会い、具体的に何を盗られたかにつき、報告するとあっと言う間に被害届が完成する。その間の時間はざっと10分くらいで、慣れたものである。こちらも冗談で、この種の盗難にまた会うことが予想されるので、用紙を1~2枚いただければ、次はこちらで書いてきますよと言ったところ、欲しければ、用紙をあげるよと言うことであった。
「コーリア・デル・リオの住民をジャパン・デーのパーテイに招待した話」
伊達正宗の家臣である支倉常長が、1613年に交易を求めて、メキシコ、スペイン経由でローマに出かけた話は、誰もが知っている。ガレオン船「サン・ファン・バウティスタ号」で、月の浦を出帆した。慶長遣欧使節団と呼ばれている。昔駐在したメキシコのアカプルコには支倉常長の銅像が建てられており、メキシコ・シテイの中心部には常長が宿泊したという宿舎も残されている。
セビリャに到着して、友人のスペイン人の話から、セビリャから15キロ程度離れたところにコーリア・デル・リオという小さな町があり、そこには、日本を意味する「ハポン」という苗字の人がたくさん住んでいるという。そこで、何度か出かけたが、確かに、「ハポン」という苗字の人がたくさんいた。スペイン人の名前は、最初に、ホセとかカルメンという名前、その後父方の苗字、その後に母方の苗字と続くのだが、その町には、ハポン・ハポンという苗字の人も結構いた。話を聞いてみると、支倉常長のミッションがセビリャに到着し、そこからマドリード経由でローマに向かうことになるのだが、ミッションの数が多すぎることもあって、一部の同行者をセビリャに残して行ったのだという話だが真相はわからない。苗字も持たない身分の低い人が残されたのだと思われるが、彼等は、日本を表す「ハポン」という苗字を名乗ったのだという。
博覧会は、友好を目的とするので、私は、これらハポンさんの町、コーリア・デル・リオを日本館のお客さんにしたいと考えた。そこで、ジャパン・デーの式典やパーテイの際には代表者を招くことにした。また日本館の展示には、支倉常長の慶長遣欧使節団と天正少年使節団を紹介する大きなパネルがあったが、財産処分する際に、コーリア・デル・リオ町のトップに話したところ、是非とも寄贈して欲しいということであった。博覧会終了後、展示物を同町に寄贈し、町議会が行われる会議室に飾ってもらうことになった。同町にもグアダルキビル川に面したところに支倉常長の銅像が立っている。
「アミーゴからの優先入場依頼に苦労した話」
万国博覧会ともなると長蛇の列がすぐに思いつく。大阪万博では、月の石や宇宙関連の展示を見るために、米国館やソ連館には5時間以上の待ち時間があったと報じられている。セビリャ万博でも、人気館であるスペイン館、航海のパビリオン、カナダ館、日本館、富士通館等に入場するには、場合によっては、数時間の行列待ちができた。そこで博覧会のつきものは、優先入場である、英語では、EASY ACCESSと呼ばれ、並ばずに裏から入る方法である。博覧会では、パビリオン間であらかじめEASY ACCESSについての大まかなルールを作ることが多い。また日常的にお世話になっている中央官庁、アンダルシア州政府、セビリャ市、日本大使館、ジェトロ、日系進出企業からの依頼があれば、優先入場を認めることになる。スペイン人の友人からも多くの優先入場の依頼が日本館に届く。我々は、日本館の友人に対しては、割合寛大に認めていた。しかし、スペイン人の友人からの要請はどんどんエスカレートする。最初は、本人だけだったのが、その友人、家族、友人の友人と対象が広がる。博覧会では、日本館と並んで富士通館の3D立体映像がものすごく人気を集めていた。富士通館は、映像のため収容能力が限られていた。友人たちは、その内、富士通館の優先入場も依頼してきた。重要な友人に対しては、富士通館の館長に依頼して、優先入場させてもらったが、その内、例によって、その友人や家族の優先入場を依頼してきた。さすがに、当方も、それは行き過ぎと判断した。管轄する日本館はともかく、他人のパビリョンの優先入場は頼めないと説明し、丁重に断ることにした。彼等はダメ元で依頼してきているので、断ることによって何の問題も生じなかったのは言うまでもない。
「EASY ACCESS申し込みのファックスを切った話」
日本館の事務局員は大変優秀かつ、真面目なスタッフが多かった。優先入場を担当する事務局員は、数人だったが、極力多くのVIPやIPを日本館に受け入れようとする。善意からの発想である。私は、従来の「優先入場依頼書」を改善し、1ページで、申し込みと承認印が入っているものを作成し、業務の合理化を図った。毎日、ファックスで依頼が来るのであるが、翌日の受け入れのための準備作業のため、夜の10時、11時まで残業が続く。事務局員の健康問題もあるし、残業代も嵩むことになる。スペインの労働法による残業代は結構高い。問題を解消するために、午後4時で持ってファックスを切ることとした。事務局員は、私に大いに不満で抗議してきたが、他のパビリオンからの要請は、本当に翌日の優先入場を依頼したければ、ファックスでなくとも、日本館まで届けに来るはずだと説明し、納得してもらった。ファックスを切ったからと言って、ほとんど問題は生じなかった。
「オペラ・カルメンのチケットを大量買い占めた話」
セビリャ万博では、オペラ、バレー、演劇、コンサートを大いに楽しむことができた。万博のために、セビリャ市内にマエストランサ劇場が建設された。スペイン政府も万博成功のために、大いにイベントには力を入れており、音楽監督は、あの有名な3大テノールの一人であるプラシド・ドミンゴ氏であった。万博開始後初めての出し物は、オペラ「カルメン」で、出演は、これまた3大テノールの一人であるホセ・カレーラスがドン・ホセ、スペインの誇るメゾ・ソプラノのテレサ・ベルガンサがカルメン役で、指揮者はプラシド・ドミンゴであった。さらに、劇中のフラメンコの踊りは、かの有名なクリステイーナ・オヨスという豪華版である。まさに世紀の組み合わせでもあったので、私はできるだけ多くの事務局員、アテンダントに見せたいと考え、しっかり根回しをし、博覧会公社から30枚のチケットを入手した。金額は、1万円くらいであったが、立て替え、本当に鑑賞したい事務局員、アテンダントに配った。30枚もあったので、希望する人にほぼ行き渡った。事務局員等はオペラの素晴らしさに感動したものであった。その後、出遅れた米国館の政府代表はチケットが入手できず、大量に購入した日本館に助けを求めてきたというエピソードもあった。