2014年8月に、友人7名と120キロコースに挑戦した。今回は、その巡礼についてのエッセイ集である。
「サンテイアゴ巡礼のきっかけ」
サンテイアゴ巡礼については、大学時代からおぼろげながら知っていたが、実際に関心を持ち始めたのは、1992年のセビリャ万博の時であった。スペイン政府館の大型映像で、サンテイアゴ大聖堂のボタフメイロ(大香炉)が8人の綱引き人によって宙に舞うダイナミックな光景を見た時であった。その後、何年かして、サンテイアゴ巡礼の講演がスペイン大使館で行われた。講師は日本経済新聞社の編集委員であった土田芳樹氏で、800キロを40日間で歩いた話を聞いた。その時は、自分で行く時間も気もなかったが、関心だけはあった。2008年からは関西外国語大学で教鞭をとるようになったが、数年前にオビエド大学に留学していた教え子が、サリアという町から約120キロの行程を5日で歩いたというメールを受け取った。その後、レオン大学に留学していた男子学生も同じコースを4日間で踏破した。2013年頃から、何とか実現したいと考えるようになった。同じ大学の図書館に勤務されていた藤津滋生氏と何気なく巡礼の話をすると、大きな関心を示し、実現しようということになった。当初は2013年夏を考慮していたが、双方の都合が合わず、結局2014年夏休みということになった。さらにキャリアセンターの前部長の中谷さんも参加し、3名で出発するということになった。ところが、話を聞きつけた人がさらに5名参加することになった。全員女性で、大学の50代の女性職員の上近雅子さん、藤津さんの友人の60歳後半の姉妹、藤津さんの20歳代の娘さんである。結局65歳以上の男3名、女2名と20代~50代の女性3名という大デレゲーションに膨れ上がった。
「出発の準備」
とりあえず、2月頃に旅行のスケジュールを決定することとし、8月16日、関空発KLM、8月28日、関空着を基本とし、後のスケジュールは、各自が決めることになった。巡礼証明書を入手するには最低100キロ以上歩く必要があるので、サリアを出発し、サンテイアゴ・デ・コンポステラまでの120キロ弱を5日間で歩くことにした。巡礼は通常、3ユーロから10ユーロで宿泊できる巡礼宿(ALBERGUE)に泊まるのであるが、公営の巡礼宿は予約ができず先着順になっているので、無理があると考えた。8月下旬は、学生等の巡礼が急増すること、スペインの夏は相当の暑さが予想されること、グループが8名と大人数になったため、それぞれの歩くスピードが異なること等を考慮して、事前にホテルないしはホスタル、ペンシオンに予約することにした。3月上旬から巡礼地のホテルの予約を開始し、3月6日に最初の地サリアの宿舎を予約し、10日には、パラス・デ・レイ,ポルトマリン,アルスア、ラバコージャまで予約を終了した。次に悩んだのは、8月16日にマドリードに到着するが、サリアまでいかに到達するかであった。常識的には、マドリードからレオンに行き、レオンからサリアまで鉄道かバスで行くのがベストと考えたが、レオンからサリアまでの鉄道は、早朝の3時と5時に出発するという。時差と疲れを考慮すると無理と判断した。レオンからサリアまでは200キロもあり、鉄道やバスに仮に乗り遅れば大変と考えたので、結局マドリードからルゴまでバスで出かけることにした。その間、バス予約によって、サンテイアゴまでのルートが確保されたので、ルーゴとサンテイアゴのホテルの予約を完了した。参加者全員がポルトガルのリスボンに行きたいということであった。その次のステップは、サンテイアゴからリスボンにどのようにして行くかであった。鉄道を調べてみると3~4回乗り換えで10数時間かかるという。バスも同様で9時間ばかりかかることが判明した。経費は大幅に安くなるが、時間も大幅に失われるので、リスボン滞在が短くなる。私を除く参加者のすべてにとって、ポルトガルは初めての訪問なので大いに期待している。航空機を調べてみるとサンテイアゴから75キロ離れたア・コルーニャ空港からリスボンまでポルトガル航空(TAP)のフライトがあるというのですぐに予約した。昨今では珍しいプロペラ機であった。リスボンからマドリードも鉄道やバスを利用すると時間がかかりすぎることもあり、結局、航空機を使うことになった。これにより、すべてが繋がったので、最後のホテルであるリスボンのホテルとマドリードのホテルを予約することができた。スペインにおける鉄道やバスの使い心地がいかに悪いかを実感することができた。
「いよいよ出発」
いよいよ出発日8月16日(土)、当日になった。朝早くに起床し、午前6時30分の枚方市駅発のリムジンバスに乗り、関西空港に向かった。フライトは、10時35分発のKLMでアムステルダム経由、16日(土)19時25分にマドリードのバラハス空港に到着した。すぐにホテルにチェックインしたが、何か食べたいというのでホテルの近くのBARで生ハム、スペインオムレツ等を食べながら、ビールで乾杯し前途を祝福した。
翌日、バスが発着するEstación Sur駅には地下鉄で行くことにした。10時30分ジャストにバスは発車し、ルーゴに向かうことになった。ルーゴ到着は、17時45分で7時間以上かかったことになる。バスにはトイレがなかったが、途中、Tordesillas,Benavento,Ponferrada,Villa Franca del Bierzo等8か所停車した。昼食時には45分の休憩時間があった。ルーゴ到着時に、すぐに翌日のサリア行きのバス・チケットを購入しようとしたが、当該バス企業の窓口は閉まっていた、売店で巡礼のシンボルであるホタテを2ユーロで購入した。ホテルは4つ星のメンデス・ヌーニェスでレセプショニストは大変親切な紳士であった。ルーゴは、ローマ帝国の防衛都市で、1世紀にアウグストゥスの命によって作られた城壁都市である。城壁は高さ10メートルで、延々2キロも続く。見るところも多数あり、さすが世界遺産だと皆で感心したものだ。公営のアルべルゲも見学することができた。
翌日の18日(月)の午前中もゆっくりルーゴを見学することができた。バス・チケットを購入しに駅に向かったが、開店時刻になってもオープンせず、12時か12時45分のバスに乗ることにした。30分前にバス停に行ったところ、12時のバスだと8名全員が乗れないと言うので12時45分のバスに乗って、サリアに向け出発した。30分でサリアに到着した。予約したホテル・オカ・ビジャ・デ・サリアは、比較的近くにありホットした。近くに美しいサリア川の岸のレストランで、早速、8ドルの巡礼定食を食べたが、まずまずの味でリーゾナブルであった。午後は、明日からの巡礼に向かって飲み物や食べ物をスーパーで購入した。サリアは海抜454メートルであるが、太陽の日差しが強く、この時期、暗くなるのが午後9時半くらいなので、翌日からの巡礼が少し怖くなる感じであった。
「最初の日」
19日(火)早朝6時にホテルを出発した。この時期、明るくなるのが午前7時半なので、鉱山労働者のごとくヘッドランプをつけ出発した。あらかじめ、ホテルに巡礼道の順路を聞いていたが、途中標識が見過ごすこともあった。しかし、なんとか軌道に乗せることができた。途中の景色は美しく、田園風景ものどかなものであった。ひまわり畑、とうもろこし畑、くり、リンゴ、イチジクの木々が見られる。馬糞や牛糞の匂いでいっぱいだが、それほど苦痛には感じない。巡礼の途中では教会やカフェテリアで巡礼のスタンプ(SELLO)を押してもらうのだが、このスタンプラリーが楽しく、どこにスタンプがあるのかも徐々にわかってきた。ポルトマリンまでは22~23キロの行程であったが、結構つらく、中谷さんは2日目と4日目は休みたいと言う。私も目的地のポルトマリンで、水分不足と膝と足の痛みで、熱中症的症状になり気分が悪くなった。ポルトマリンに到着寸前に長い厳しい下り坂が続き、ミーニョ川にかかる長い橋を渡り、入口の階段のところでダウンした。アルべルゲで少し休ませてもらった。従業員は親切にも、水を持って来てくれたり、大変親切に対応してくれた。少し回復したので、ホテルまでゆっくり歩いてようやく到着した。ホテルで少し休むと気分が回復したので昼食に合流した。中谷さんと相談し、とりあえず、ポルトマリンからパラス・デ・レイまでの28~29キロは休み、3日目からまた参加しようということになった。また、重い荷物を担いでの歩行はつらいということで、20代の千巳さんと綾乃さん以外の6名は、リュックの荷物を軽くし、次の目的地まで運搬してもらうサービスを使うことにした。調べてみると1リュックあたり、3ユーロで運搬してくれるという。