執筆者:西岡勝樹(日本旗章学協会会員)
「はじめに」
カタルーニャの旗はセニェーラ(Señera/Senyera)と呼ばれ、カタルーニャの地にはためいている。この旗に見る不思議を見ていきたい。
1.カタルーニャについて
1-1.スペイン行政単位
スペイン第一行政単位 自治州及び自治都市(Las Comunidades Autónomas)
・17 自治州(17 las Comunidades Autónomas)
・2 自治都市、セウタ市、メリーリャ市(2 las Ciudades Autónomas de Ceuta y Melilla)スペイン第二行政単位及び第三行政単位 県、市町村(Las Entidades Locales)
・50 県(50 provincias)
・8,117 市町村(8.117 municipios)
1.2.カタルーニャとは
『狭義の「カタルーニャ」は、スペインの行政区分の一つ、カタルーニャ自治州」を指す。広義の「カタルーニャ」は、カタルーニャ語文化圏を指す。』(田澤耕 2013、15、「カタルーニャを知る事典」、平凡社)
広義のカタルーニャはカタルーニャ自治州、バレンシア自治州、バレアレス諸島自治州、アラゴン自治州の一部、及びフランスのピレネー=オリアンタル県、イタリア・サルディニア島アルゲーロ市、ピレネー山中の小国アンドラ公国を含み、「カタルーニャ諸国」とも呼ばれる。
1.3.カタルーニャの語源
その語源については謎であるが、諸説存在する。
- Gotholandia 説
Gotholandia とは「ゴート人の土地」と言う意味、Gotholandia から Cathalunya という変化。これは言語学上無理がある。
- 15 世紀の説話の Cathaló 城を語源とする説
『八世紀の初めの南仏に Otgar Golant という貴族がいた。その城が Cathaló 城という名だったので、Otgar Cathaló、彼の家臣たちは Catalnsと呼ばれていた。彼は 9 人の家臣と共にゴート人の地を征服に出かける、ピレネー山脈を越えたところにいくつかの城を構えた。イスラム教徒を攻撃するが、戦死してしまう。残った九人の家臣は山中に残った。
その後、シャルルマーニュの遠征に参加して いたローラン(ローランの歌)が彼らを発見し、主君の下に連れていく。
シャルルマーニュはピレネーの南の地を征服した時、Otgar を記念してその地を Catalonia と呼んだ。』以上は科学的信憑性には乏しい。
- ヒスパニア辺境領にはイスラム教徒の攻撃に備える為に、城が多いのは当然。城は Castellといい、城代は
Castellanus,Catlanus と言われたので、後にこれが変化して Catalá が生まれ、さらに Catalunya が生まれたという説もある。
(出所:田澤耕 2000、p29-30、「カタルーニャの歴史」、中公新書)
★Castilla(カスティーリャ)の語源も城(castillo)に由来し、城塞の多い地方だった。両国とも同じ語源の城を意味することになる。(筆者)
1.4.カタルーニャの歴史
・紀元前 5 世紀 ローマ帝国の支配下。
・5 世紀 西ゴート王国の支配下。
・711 年 イスラム教の支配下。
・8 世紀 フランク王国 ヒスパニア辺境伯領を置く。
・878 年 ギフレ一世(多毛伯、毛むくじゃら伯)バルセロナ伯としてフランク王国から独立、周辺伯領を支配、バルセロナ伯支配下のカタルーニャ伯領始まり。(カタルーニャ国旗誕生伝説) カタルーニャ君主国 (正式の独立はその孫ブレイ二世の時)
・1137 年 ラモン・バランゲー四世(聖王)、アラゴン王女パルネリャと結婚。
カタルーニャ・アラゴン連合王国の誕生の由縁。
・1162 年 その子アルフォンス一世即位 初代カタルーニャ・アラゴン連合王国の王。 カタルーニャ伯(バルセロナ伯)アルフォンス一世、アラゴン王 アルフォンソ二世。
・1213 年 征服王ジャウマ一世即位。イスラム教徒より マリョルカ島、バレンシア再征服。これを再征服をもって
カタルーニャのレコンキスタは終わる。カタルーニャ議会(身分制議会)、バルセロナ市会 百人議会の創設。
・1336 年 儀典王 ペラ三世即位。カタルーニャ・アラゴン連合王国の判図最大、カタルーニャ・アラゴン連合王国、バレンシア、バレアレス諸島、
・14 世紀末 サルディーニャ島、シチリア島、ナポリ王国、アテネネオパトリア公国
~15 世紀初 「地中海の覇者」「カタルーニャ地中海帝国」
・1348 年 飢饉・ペスト流行
・1412 年 ギフレ伯以来のバルセロナ伯家断絶 「カスプの妥協」によりファラン一世(フェルナンド)即位。
カスティ-リャ系トラスタマラ王家初代。
・1469 年 カタルーニャ・アラゴン連合王国皇太子フェラン(フェルナンド)とカスティ-リャ王国イザベル王女の結婚。
・1479 年 フェラン二世(フェルナンド五世)カタルーニャ・アラゴン連合王国即位。カスティ-リャ王国とカタルーニャ・アラゴン連合王国スペイン王国の誕生、「カトリック両王」
・1492 年 最後のイスラム王国グラナダ陥落・コロンブス新大陸発見。「カスティ-リャの隆盛、カタルーニャの衰退」
・1640 年 「収穫人戦争」 中央のカスティ-リャへの農民の反乱。鎌を手に戦ったのが名前の由来。
現カタルーニャ国歌の由来。
・1701 年 「スペイン継承戦争」 カタルーニャはハプスブルグ家に味方し、結果敗北(9 月 11 日国民の日)し、ブルボン王朝より厳しい制裁受ける。
・1939 年 スペイン内戦終了、フランコ独裁 地方自治の完全否定
・1975 年 フランコ死去 王政復古 ・1978 年現スペイン憲法発布
・1979 年 カタルーニャ自治憲章制定 地方自治保障
2.カタルーニャ自治州 (カタルーニャ語: Catalunya, スペイン語: Cataluña)
2.1.カタルーニャ自治州旗 La bandera de Catalunya
2.2.カタルーニャ自治州旗の法的根拠
カタルーニャ自治憲章 第 8 章 カタルーニャのシンボル
1 項 第 1 章にて規定さるカタルーニャの州旗、休日、州歌を制定。
2項 カタルーニャ自治州旗は伝統の旗、黄色の下地に赤い四つの縞を配する。カタルーニャ州において公共施設,公式行事に掲揚されるべき。
3項 カタルーニャ自治州の日は 9 月 11 日であり、祝日とする。
4項 カタルーニャ州歌は収穫人の歌とする。
5項 議会は、カタルーニャ自治州のシンボルの枠組みの多様な表現を規制するものとし、そのプロトコルの 順序を定義する。
6項 カタルーニャ自治州のシンボルはその他n国家のシンボル同様に法的な保護を受けるものとする。
出所:https://www.parlament.cat/document/cataleg/48089.pdf
2.3.カタルーニャ自治州旗の由来
カタルーニャの旗に由来する四つの縞は 1150 年のラモン・バレンゲー四世のシール(国璽)(図4)に現われる。
もう一つ、その起源に纏わる伝説がギフレ一世多毛伯に由来する。ある戦いの後、フランク王シャルルは傷ついた伯の胸の血を自らの指に染め、伯の黄金色の盾に四本の指跡の赤い縞を描き込み(図5)、これを徽章として与えたという。この両方が相まってバルセロナの伯爵たちの中で際立った存在となった。ある時代には、横に描かれたりまたは縦に描かれたりしたが、現在、1979 年自治憲章にて公式に規定されている通りである。その他由来は多数存在する。
出所:http://web.gencat.cat/es/temes/catalunya/coneixer/cultura–llengua/#bloc5
2.4.カタルーニャ自治州の県
州内には4つの県(バルセロナ県、タラゴナ県、ジロナ県、リェイダ県)から成る。
①バルセロナ県
県旗、市旗にはセント・ジョージ・クロスが見える、セント・ジョージ(セント・ジョルディ) はカタルーニャの聖人、カタルーニャではその聖人の生誕日を「サン・ジョルディの日 4 月 23 日」としてバラと本を贈答する。
このクロスはイギリスのユニオン・ジャックの基にもなっている。
②タラゴナ県
③ジロナ県
④リェイダ県
3.カタルーニャ語文化圏 スペイン国内
カタルーニャ自治州以外のアラゴン自治州、バレンシア自治州、バレンシア諸島自治州
Población Total | 年度 | Cataluña
カタルーニャ自治州 |
Aragón
アラゴン自治州 |
Comunitat Valenciana バレンシア自治州 | Balears, Illes
バレアレス諸島自治州 |
自治州人口 | 2016 | 7.522.596 | 1.308.563 | 4.959.968 | 1.107.220 |
3.1.アラゴン自治州
①アラゴン自治州旗の法的根拠アラゴン自治州自治憲章 第三章 シンボルと首都
1項 アラゴン州旗は黄色の下地に四本の赤い平行帯を持つ伝統の旗。
2項 アラゴン州章は伝統の四分割盾、上部に王冠を置く、州旗中央部に配される。
3項 アラゴン州の州都はサラゴサ市。
4項 アラゴンの日は4月23日。
3.2.バレンシア自治州
①バレンシア自治州自治憲章第四章
1項 バレンシア州旗は伝統のセニェーラの旗、黄色地に四本の赤い帯を持ち、マスト側に 王冠を模した青い帯を配する。
3.3.バレアレス諸島自治州
①バレアレス諸島自治州自治州憲章第 6 章
1項 バレアレス諸島旗は歴史的法令に基づいた特徴のあるシンボルである、黄色地に四本の赤い帯から成り、左上部カントン部に紫色の下地の中央に5つの塔を持つ白い城を配する。
2項 各島の評議会の承認の元に各々の島は各々の旗、日、特徴のあるシンボルを持つ。
3項 バレアレス諸島の日は3月1日。
おもな島は、マヨルカ島(大島)、メノルカ島(小島)、イビサ島、フォルメンテラ島から成る。
4.カタルーニャ語文化圏 スペイン国外
4.1.フランス ピレネー=オリアンタル県
ピレネー=オリアンタル県は(フランス語:Pyrénées-Orientales、カタルーニャ語:Pirineus Orientals)は、フランスのオクシタニー地域圏の県である。
人口(2010 年) 448,543 人面積 4,116 km2
4.2.イタリア サルディニア島サッサリ県 アルゲーロ市
アルゲーロ(イタリア語: Alghero、カタルーニャ語: L‘Alguer (ラルゲー)は、イタリア・サルデーニャ州サッサリ県にある基礎自治体(コムーネ)。 カタルーニャ語の言語島として知られる。
人口(2011 年) 40,965 人 面積 224.43 km2
4.3.ピレネー山中の小国 アンドラ公国
アンドラ公国 (カタルーニャ語: Principat d‘Andorra)は、ヨーロッパ西部のピレネー山脈中にある立憲君主制国家。フランスとスペインに挟まれたミニ国家であり、フランス大統領とスペインのウルヘル司教の 2 名による共同大公を元首とする。
- 面積 468 平方キロメートル
- 人口 73,105 人(2016)
- 首都 アンドラ・ラ・ベリャ
- 言語 カタルニア語(公用語),スペイン語,ポルトガル語,フランス語
- 宗教 国民の大多数がカトリック
- 共同元首フランス大統領及びウルヘル司教(在スペイン)
★アンドラ公国国旗は1866年承認、1971年8月27日公式に制定された。
三色縦平行旗、青(8)、黄(9)、赤(8)、中央にアンドラ国章を配する。
★アンドラ公国国章は四分割盾、第一分割部(左上)は赤の下地に黄色と白の司教冠と黄色の司教杖が重ねて描かれる、共にアンドラの共同元首であるウルヘル司教を象徴する。第二分割部(右上)、黄の下地に赤い3本の帯が縦に配する、アンドラの共同元首であったフランスのフォワ伯爵家の紋章。第三分割部(左下)は、黄の下地に赤い4本の帯が縦に配する、これは隣接するスペイン、カタルーニャ州の紋章。第四分割部(右下)は、黄の下地に2頭の赤い牛が描かれる、赤い牛は、角やカウベル、ひづめの部分のみ青く彩色されている。この意匠はフランスのベアルン子爵家の紋章、ベアルン地方を表す。国章の下部には国の標語である、Virtus Unita Fortior(ラテン語:「力を合わせれば強くなる」)の文言を配する。
5.カタルーニャ独立の旗
5.1.アスタラーダ
★アスタラーダ(カタルーニャ語: Estelada)は、カタルーニャ州のスペインからの独立またはカタルーニャ語圏の独立の支持を表明する際に、カタルーニャ分離主義者によって振られる非公式の旗。Estelada とは「星付き旗」を意味する。
★この旗は米西戦争(1898 年)においてスペインより、独立を勝ち取ったキューバ、プエルトリコ、フィリピンの国旗に着想を得ている
5.2.いろいろなアスタラーダの旗
①赤いアスタラーダ
★赤いアスタラーダ 1970年代に現われる。この旗は星は赤色、三角は黄色となる。この旗は民族解放社会党が推奨する旗である。最初の旗は三角は白色であった。国家独立と社会主義の保護と関連つけられる。
その形から青いアスタラーダと並び掲げられることがしばしば見られる。
青いアスタラーダは保守主義的な独立運動の象徴となり、赤いアストラーダは左派独立派の象徴となっていった。
CUP(人民統一候補)の党章に使用されるようになった。
②緑のアスタラーダ
★もっとも最近現れたアスタラーダは緑のアスタラーダである。2008年緑の三角形に白い星。
この旗は平和の戦いと環境主義者、動物愛護主義に関連つけされている。
- 黄のアスタラーダ
★その他の旗、現在使用は少ないが、スペイン共産党の旗。1980年デザインされた、赤の三角形の下地に黄色い星のアスタラーダとなっている。
- 黒のアスタラーダ
★90年代までの無政府主義者の旗、黒い三角形の下地に赤い星。赤い星は八芒星(8つの点をもつ)、一つひとつがカタルーニャ諸国を表していると言う。
5.3. いろいろなカタルーニャの旗
① スペイン継承戦争300周年の旗
カタルーニャ国民の日は9月11日である。これは、1714年、スペイン継承戦争でスペイン軍を相手に闘っていたカタルーニャの最後の砦となったバルセロナが降伏、敗北した日が9月11日。つまり、カタルーニャ独立の夢が破れた痛恨の日が州民の記念日なのです。
2014年はスペイン継承戦争300周年の年となり、カタルーニャ歴史博物館に黒い記念旗(図28)が現れた。
この旗は黒い下地にサンタ エウラリア(バルセロナの聖女)の十字と星をあしらい、白色で彩られている。黒い旗地は抵抗のシンボルであり、14世紀のアルモガバルス(傭兵隊)が使っていたものである。
スペイン継承戦争の最中、バルセロナのモンジューク城に黒い旗が掲げられた故事に由来する。
2014年9月11日(カタルーニャ国民の日)にカタルーニャ州各自治体のバルコニーにこの旗が掲げられた。
- 黒のアスタラーダ