執筆者:桜井 悌司(NPO法人イスパJP)
メキシコ、チリ、ブラジル、スペイン、イタリアに15年半駐在した。スペイン・ラテン、ポルトガル・ラテン、イタリア・ラテンと3つのラテン世界を経験できたのは大いなる幸運であった。大学時代にスペイン語を勉強したので、かれこれ50年以上のラテン世界との付き合いである。それらの経験から、ラテン・マジックにつき紹介したい。
エピソード1 頼まれ案件がいつの間にか、こちらが頼んだ案件のようになるというマジック
ラテン世界で長年過ごしていると、いろいろ頼まれることが多い。仕事上で、何か一緒にやりたいとか、こういうプロジェクトやプログラムを計画しているので,助けて欲しい等々である。こちらは気がいいので、総じて引き受けることになる。日本では、通常、頼んできた人は、最後まで謙虚で、頼んだことを覚えており、そのように振る舞う。しかし、私の印象によると、ラテン世界では、引き受けた時点で、依頼者と引き受け者は、対等になる。対等ともなれば、依頼者は、その後も、いろいろな要望、要求、注文出してくることが多い。その内、どちらが依頼し、どちらが引き受けて助けているのかわからなくなってくる。私も何度もこのような経験をしたことがある。まるでマジックのように攻守が入れ替わるのである。日本人が心しておくべきことは、前述のように、引き受けた時点、契約した時点で対等になることをしっかり理解しておくことである。このことがわかると、日本で見られる広範囲な上下関係は、海外では全く通用しない。例えば、アッセンブラーと部品供給企業は、上下関係はなく、対等であるし、金を貸す方と借りる方も対等となる。そこから、アルゼンチンの債務問題にみられるような、「貸したほうが悪い」という論理が出て来るのだ。
エピソード2 途中、ハラハラさせられるが、最後にはつじつまを合わせるというマジック
ラテンの人々に物事を頼んだり、協力してもらったり、一緒に仕事をすると、ほとんどの日本人は、ハラハラ、ドキドキ、イライラさせられることが多い。なぜなら、彼らは、日本人が考えるようには決して動いてくれないからである。何事も周到な準備をし、計画に従って、物事を進めないと心配でしょうがない日本人と物事を十分に詰めなくても得意の即興性で何とかやっていけるラテンの人々との差である。しかし、不思議なことに終わってしまえば、ちゃんと辻褄があっており、決して完全とは言えないが、体をなす形で終了しているのである。全員がホッとして、今までの心配は一体何であったのかと思ってしまう。これもラテン・マジックと言えよう。日本人も現場にいる人は、これらのことを理解しているが、本社や本部の心配性の人々に理解してもらうのは並大抵ではない。
エピソード3 突貫工事マジック
ラテンの世界では、万国博覧会でも、見本市でも、オリンピックでも、ワールドカップでも準備が大幅に遅れ、ハラハラさせられることが多い。一般的に、世界的な大イベントともなると、工事が遅れるのは全く普通のことである。日本は、万国博覧会や国際博覧会で予定通り、パビリオンの建設を進める世界でも数少ない国の一つである。したがって、日本の場合、世界レベルでいう突貫工事は少ないのである。リオのオリンピックでもサッカーのワールドカップでも準備状況が遅れていたことは周知の事実である。しかし、心配するには及ばない。彼らには、突貫工事力というマジックパワーがある。いざ間に合わないときはどうするのか? それは簡単である。開会式を実現するために、ドラスチックに優先順序を明確にするのである。細部の体裁はすべて後回しにして、テレビで撮影されるような絵になる場所の工事を最優先し、何とか開会式に間に合わせるべく突貫工事を行うのである。ラテン人の得意技である。開会式が終了すると、細部の工事の完成に向けて、ゆっくりと再開させるだけである。
エピソード4 自分たちファースト・マジック
トランプさんは、いつも「アメリカ、ファースト」と叫んでいるが、私の印象では、ラテンの人々は、総じて「自分たち、ファースト」である。例えば、アポイントを取得して、いざ出かけて行くと、待たされるケースが時折ある。自分たちの都合で待たせる場合もあるし、上司に急に呼ばれて、そちらを優先する場合もある。相手の都合は、それほど眼中にないのである。
その昔、サンパウロに赴任直後に、ブラジル全国貿易会議がリオで開催された。貿易とならばジェトロの出番だと考え参加することにした。ポルトガル語も全く十分では無かったので、出来るだけ前の方に座ろうとしたところ、そこは、ブラジル人のための予約席だと言う。そこで当方は、貿易と言うのは、外国との取引である。とすると、外国人ビジネスマンが最優先されるのが当然だろうと主張した。最後は、サンパウロから参加したブラジル人ビジネスマンが応援してくれたので前の方の席に座ることができた。ブラジルでは、常に「ブラジル人ファースト」であることがよく理解できた。
エピソード5: アミーゴ・マジック
以前、「ラテン世界でフラストレーション無く仕事をする方法」というエッセイを書いた。結論的には、問題を解決するために、日本で10日間がかかるとすれば、ラテンの世界では、どれほどかかるかを考え、15日間かかるとすれば、15日前に準備を始め、途中で2回ばかり進捗状況を尋ねるといった単純な方法である。これをやることによって、私自身、あまりフラストレーションを感じず仕事ができたように思える。しかし、この場合、アミーゴがいないという前提である。アミーゴがいれば、解決時間が俄然短くなる。場合によっては、5日間で終わることも可能である。それゆえ、ラテン世界では、アミーゴをたくさん作るようにすべきである。ではどうすれば、アミーゴをつくることができるのか? 最も簡単な方法は、食事を共にして、お互いの性格、考えにつき、理解を深めることである。なぜなら一緒に食事をすると、相手の時間を比較的長く取れるので、様々な話題につき意見交換でき、相手の性格、能力等も把握できるからである。外国の要人と仲良くなる方法は、彼らが訪日した際に、本社や本部に、親切にアテンドしてもらうことである。誰でも、見知らぬ海外でアテンドしてもらうとありがたいものである。日本人にとって、ラテンのアミーゴを作る上で、心すべき点は、忍耐強くあることである。何故なら、アミーゴを作ろうとすると、相当の時間を取られることになる。食事でも付き合いでも、日本人間と比べると、はるかに時間をかけることになる、また時折、日本人から見ると、公私混同的なことが起こる。それらの事態に対処するには、忍耐や我慢が必要なのである。
エピソード6: 攻勢に転ずると手が付けられないマジック
例えば、サッカーでもバレーボールでもボクシングでも、ラテン系の国のチームや選手は、攻勢に転ずると、まず手が付けられないくらい強くなる。まさにやれやれドンドンである。このようなチームに太刀打ちできることがあるのだろうか? 相手チームは、このような時は、じっと我慢し、チャンスを待つしか方法が無い。不思議なことに、我慢強く、粘り強く防御を続けて行くと、ラテンのチームも疲れの兆しが表れる。その時がチャンスなのだ。ラテンのチームは、防御に回ると、先ほどの攻勢が嘘のように、弱くなることがある。日本のチームも、我慢、我慢と自分に言い聞かせるのである。そうすると展望が開ける可能性も出て来るものだ。
エピソード7: 最も大切な物、休暇マジック
日本人ほど、休暇(Vacation, Vacacion)の重要性につき、無頓着な国民は世界でも珍しい。スペインでも、イタリアでも、ラテンアメリカでも休暇が楽しみで、毎日を過ごしているのではないかと思えるくらいである。ラテン世界だけでなく、アングロサクソンもゲルマン等もほぼ同様である。夏休みともなれば、1か月という長期休暇をエンジョイする。加えて、それぞれの国には、年間の重要なイベントがある。最初に、ブラジルのカーニバルを経験したのは、1973年のことであった。サンパウロ日本産業見本市の組織のための出張時であった。ちょうどカーニバルの時期に当たっていた。近隣諸国のジェトロからやってきた助っ人は、ブラジルのカーニバルとはどういうものかを理解しており、いち早くイグアスの滝に出かけた。私は、初めての出張で、カーニバル時には、あらゆる機能が麻痺するとは全く思っていなかったので、サンパウロに残ることにした。、今から思うと大間違いかつ愚かなことであった。1992年のセビリャ万国博覧会時にも、同じような経験をした。万博のオープニングは4月20日であったが、その前後に、ロシオの巡礼、聖週間(Semana santa)、春祭り(Feria de Abril)というセビリャを代表する3つの大きな祭りがあったのだ。スペインが国の威信をかけて開催する万国博覧会ともなれば、博覧会公社の職員も少しは、準備が遅れがちの参加国のために働いてくれるかも知れないという甘い期待を抱いたが、完全に裏切られた。公社の事務所が、その期間完全に閉鎖されたのである。お祭りが終わると、何もなかったように正常に戻るのだ。
旧約聖書に出て来る「アダムとイブ」の話を思い出すと良い。イブは禁止されていたリンゴを食べた罰として「労働」を与えられる。以降、カトリック的な考え方では、労働は懲罰のようなものであり、それゆえに、休暇を愛し、労働は休暇を楽しむためにやむを得ないものと考えるのである。
日本人も休暇の効用についてもっと真剣に考え、実践すると新しい発想が生まれ、日本経済にとっても新しい展望が開けるのかなとふと思うこの頃である。
エピソード8: ダメ元マジック
日本人は、ダメ元に弱い。日本人は、総じて謙虚なので、ダメ元で物事を他人に頼むことは少ない。また他人から頼まれれば、なかなかイヤと言えない。しかも頼まれれば、誠心誠意うまく行くように努力をする。一方、ラテン系の人々にも謙虚な人もいるが、総じて、物事を平気で、嫌みなく頼んでくる。当然ながら、まともな依頼もあれば、難しいと知りながら、あるいは、ダメ元と知りながら、依頼してくるケースも多い。日本人の場合、断れば、人間関係や友情にひびが入りかねないと心配する人もいる。彼らは、ダメ元依頼の場合は、断られても、一向に気を悪くしないし、人間関係にも全く影響しない。なぜなら、相手は常にNoという選択肢があると考えているからだ。しかし、こちらも断る場合は、それなりにうまく説明する必要がある。
1992年のセビリャ万博の時には、多くのスペイン人の友人から、日本館への優先入場の依頼があった。よほどのことが無い限り、引き受けてたが、その内、友人の家族や友人の友人の優先入場を頼んでくる。さらに日本館の近くにあった人気館の富士通館への優先入場まで依頼してくる。なるほど、これがラテン風のダメ元かと理解したものであった。日本人もラテン風ダメ元流をマスターし、やってみると意外な効用が望めるかもしれない。なぜならラテン系の人々は、公私混同に対する寛容性が日本人より大きいからである。それゆえ、ダメ元依頼の方法をマスターすることは、友人を作るためための近道かも知れない。私が「ダメ元の勧め」を主張する理由である。