執筆者:桜井 悌司(NPO法人イスパJP)

ここから国別の著名選手を簡単に紹介しよう。今回の選定で、入らなかった選手もいれば、入れるのにふさわしくない選手もいるかもしれない。何でもそうだが、最初に執筆するのは大変である。それを元にして改善を図るのは現実的かつプラグマテイックなアプローチと言えよう。選手名は国別で誕生年順に並べてみた。コメントの内容は、誕生年、引退年、ポジション、愛称、過去の主要所属チーム、代表経歴と歴代試合数・得点数、ワールドカップ等国際試合との関わり合い、個人成績等々である。ほとんどの場合、ウイキペデイアやインターネット等を参照にしたほか、筆者の個人的コメントも付け加えている。取り上げた国は、ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイ、メキシコ、コロンビア、チリ、ペルー、パラグアイ、エクアドル、ボリビアの10カ国である。(中)では、ブラジルとアルゼンチンの主要選手を紹介する。

「ブラジル」

*アルツール・フリーデンライヒ(Arthur Friedenreich)
1892年~1969年、引退は1934年。FW。愛称は「タイガー」。SCジェルマーニア→CAイピランガ→CAパウリスターノ→フラメンゴ等に所属。ブラジル代表1914年~25年、国際試合16戦7得点。1919年南米選手権最優秀選手賞・得点王。生涯ゴール1329得点はギネス世界記録。伝説的ストライカー。当時はほとんど無償での出場であった。ラテンアメリカに影響を与えたサッカー選手の第8位にランクされている。

*ニウトン・サントス(Nilton Santos)
1925年~2013年。 DF、左サイドバック。愛称は「エンシクロペディア」。ボタフォーゴ所属。ブラジル代表1949年~68年、国際試合75戦3得点。ワールドカップに4回出場(うち1950年ブラジル大会、1954年スイス大会は準優勝、1958年スエーデン大会と1962年チリ大会は優勝)

*ジジ(Didi  Valdir Pereira)
1928年~2001年。 MF。フルミネンセ→ボタフォーゴ→レアル・マドリ―→CDベラクルス(メキシコ)→サンパウロ等に所属。ブラジル代表1952年~1962年、国際試合68戦20得点。ワールドカップ3回出場(うち1958年スエーデン大会、1962年年チリ大会で優勝)。引退後はペルーの代表監督を務めた。20世紀最大のプレーヤーの中に必ず含まれる。

*ジャウマ・サントス(Djalma Pereira Dias dos Santos)
1929年~2013年。DF、右サイドバック。ポルトゲーザ→パルメイラス→アトレテイコPRに所属。ブラジル代表1952年~69年、国際試合111戦11得点。ワールドカップに4回出場(うち1958年スエーデン大会と1962年チリ大会は優勝)ニウトン・サントスは左、ジャウマ・サントスは右のサイドバックとして傑出した守備力を誇った。代表キャップも111に達した。

*ガリンシャ(Garrincha Manoel Francisco dos Santos)
1933年~1983年。FW。愛称は「ガリンシャ」(ミソサザイ)、「脚の曲がった天使」。 ボタフォーゴ→コリンチャンス→フラメンゴ等に所属。ブラジル代表1955年~66年、国際試合50戦12得点。ワールドカップには3回出場(うち1958年スエーデン大会、1962年チリ大会の優勝に貢献した。ブラジルのジャーナリストは「ペレはアスリート、ガリンシャはアーチスト」と評している。ペレと並び称される選手。引退後はアルコール依存症で若くして亡くなった。映像で見た彼のバナナシュートは忘れられない。

*ペレ Pele (Edson Arantes do Nascimento)
1940年生まれ、1977年引退。 FW。MF。 愛称「ペレ」、「O Rei」(王様」。サントス(19年在籍)→ニューヨーク・コスモス。ブラジル代表1956年~71年、国際試合92戦77得点。ワールドカップには4回出場(うち1958年スエーデン大会優勝・最優秀若手選手賞、1962年チリ大会優勝、1970年メキシコ大会優勝)、3回の世界制覇を遂げた。その他、1959年コパ・アメリカ得点王、1965年コパ・リベルタドーレス得点王、1971年南米年間最優秀賞、1976年北米サッカーリーグ最優秀選手賞。引退後は、FIFAの親善大使、カルドーゾ政権のスポーツ大臣などを務めた。どのアンケートでも最上位にランクされ、王様にふさわしいサッカー史上最高の選手の1人。22年間のプロ生活で1363試合に出場し1281のゴールを達成した。

*ジェルソン(Gerson de Oliveira Nunez)
1942年生まれ。MF。愛称は「オウム」。 フラメンゴ→ボタフォーゴ→サンパウロ→フルミネンセに所属。ブラジル代表1961年~1970年、国際試合70戦14ゴール。ワールドカップに2回出場(うち1970年メキシコ大会は優勝、ペレ、ジャイルジーニョ、リベリーノ等を揃えた中でMFとして活躍した。

*ジャイルジーニョ(Jair Ventura Filho)
1944年生まれ、1983年引退。愛称は「ハリケーン」。ボタフォーゴ→オリンピック・マルセイユ→ポルトゲーザ→ビルステルマン〈ボリビア〉→ボタフォーゴ等に所属。ブラジル代表1964年~82年、国際試合81戦33得点。ワールドカップは3回出場(うち1970年メキシコ大会は優勝、ジャイルジーニョは6試合すべてでゴールし、7ゴールでシルバー・ブーツ賞を受賞。)

*カルロス・アウベルト(Carlos Alberto Torres)
1944年~2016年。DF.右サイドバック。愛称は「カピトン」。フルミネンセ→サントス→ニューヨーク・コスモス等に所属。ブラジル代表1964年~77年、国際試合53戦8得点。1970年ワールドカップ・メキシコ大会優勝時のキャプテンで、決勝のイタリア戦でスーパーゴールを決め、優勝に導いた。引退後は、フルミネンセ、ボタフォーゴ、フラメンゴ等のチーム監督、メキシコのクラブの監督、オマーンやアゼルバイジャンの代表監督を務めた。攻撃的サイドバックの創始者。

*リヴェリーノ(Roberto Rivelino)
1946年生まれ、82年引退。FW。MF。ニックネームは「リーヴァ」。コリンチャンス(17年在籍)→フルミネンセ→アルヒラル(サウジアラビア)に所属。ブラジル代表1965年~78年、国際試合122戦43得点。ワールドカップに3回出場(うち1970年メキシコ大会は優勝、3回で15戦6得点)。「左足の魔術師」と呼ばれた。引退後は清水エスパルスで短期間監督を務めた。1973年サンパウロ出張中にパカエンブ―・スタジアムでコリンチャンスの試合を見る機会があり、リヴェリーノも出場していた。

*ジーコ(Arthur Antunes Coimbra)
1953年生まれ、1995年引退。 FW。 愛称は「白いペレ」。フラメンゴ→ウディネーゼ→フラメンゴ→鹿島アントラーズに所属。ブラジル代表1976年~86年、国際試合94戦77得点、ワールドカップ3回出場。ブラジル・リーグ最優秀選手賞2回、南米年間最優秀選手賞3回、トヨタカップ最優秀選手賞(1981年)。ジーコは「やせっぽち」という意味。引退後は指導者としての道を歩み、日本やイラクの代表監督の他、トルコ、ロシア、カタールなど世界のチームの監督を務めた。日本の鹿島アントラーズのために選手として監督として貢献した他Jリーグの発展に寄与した。2018年より鹿島アントラーズのコーチ兼テクニカル・デイレクターを務める。

*パウロ・ロベルト・ファルカン(Paulo Roberto Falcao)
1953年生まれ。NF。愛称「第8代ローマ王」。インテルナショナル→ローマ→サンパウロ等に所属。ブラジル代表1976年~86年、国際試合36戦9得点。ワールドカップには2回出場(うち1982年スペイン大会ではシルバーボール賞を受賞)。70年代後半から80年代半ばにかけて、ブラジルの代表的ボランチ。引退後はブラジル代表監督、日本代表監督を務めるほかメキシコやブラジルのクラブの監督を務めた。

*ソクラテス(Socrates Brasileiro Sampaio Vieira de Oliveira)
1954年~2011年。MF。愛称「ドトール」(医者)。 ボタフォーゴ→コリンチャンスフィオレンティーナ→フラメンゴ→サントス等に所属。ブラジル代表1979年~1986年、国際試合60戦22得点。ワールドカップ2回(うち1982年スペイン大会はキャプテン)、コパ・アメリカ2回出場。1983年南米年間最優秀選手賞。映像で見ていても、ソクラテスの名前の如く非常に風格のある選手であった。ブラジル代表でも活躍したライ―は実弟。

*カレカ(Antonio de Oliveira Filho)
1960年生まれ、2000年引退。FW。愛称「カレカ」。グアラニー→サンパウロ→ナポリ(7年在籍)→柏レイソル(5年在籍)→サントス等所属。ブラジル代表1982年~93年、国際試合60戦30得点。ワールドカップには2回出場(うち1986年ワールドカップ・メキシコ大会ではシルバー・ブーツ賞を獲得。ナポリ在籍時にはマラドーナと一緒に黄金時代を築いた。柏レイソルでは、チームにプロ意識を植え付けるとともに、60戦30得点の成績を残した。

*ドウンガ(Dunga Carlos Caetano Bredorn Verri)
1963年生まれ。MF。 ニックネームは「鬼軍曹」。インテルナショナル→ヴァスコ・ダ・ガマ→ピサ→フィオレンティーナ→ストウットガルト→ジュビロ磐田→インテルナショナル等に所属。ブラジル代表1982年~98年、国際試合95戦6ゴール。ワールドカップに3回出場(うち1994年米国大会は優勝、代表キャプテン)、コパ・アメリカは4回出場(うち1989年と97年は優勝)日本のジュビロ磐田には1995年から98年まで在籍、97年にはJリーグ最優秀選手賞を受賞。引退後は、2回に渡りブラジル代表監督を務めた。

*ベベト(Jose Roberto Gama de Oliveira)
1964年生まれ、2003年引退。FW。 ヴィト―リア→フラメンゴ→ヴァスコ・ダ・ガマ→デポルティーボ・ラ・コルーニャ→セビージャ→ボタフォーゴ等に所属。ブラジル代表1985年~96年、75戦35得点。ワールドカップ3回出場(うち1994年アメリカ大会ではロマーリオと組んで優勝、1998年フランス大会は準優勝。1989年コパ・アメリカでは得点王、同年南米年間最優秀選手賞を受賞。ゴール時の「ゆりかごダンス」で有名。

*ロマーリオ(Romario de Souza Faria)
1966年生まれ、2010年引退。FW。愛称は「バイシーニョ」。ヴァスコ・ダ・ガマ→PSVアイントホーヘン(オランダ)→バルセロナ→フラメンゴ→バレンシア→マイアミ・ユナイテッド等に所属。ブラジル代表1987年~2005年、70戦55得点。ワールドカップ2回出場(うち1994年米国大会では優勝、大会最優秀選手賞)、1988年ソウル・オリンピック得点王、UEFAチャンピオンズ・リーグ得点王2回、1997年FIFAコンフェデレーション・カップ得点王、1994年FIFA最優秀選手賞等々。プロとしてのゴール数は969得点でフル―デンライヒ、ペレに次ぐ第3位。引退後はヴァスコ・ダ・ガマの監督を務めた。2010年連邦下院議員、2014年からは連邦上院議員。

*クラウディオ・タファレル(Claudio Andre Mergen Taffarel)
1966年生まれ、2003年引退。 GK。 インテルナショナル→パルマ→レッジーナ(イタリア)→アトレティコ・ミネィロ→ガラタサライ(トルコ)→パルマ等に所属。ブラジル代表1988年~1998年、国際試合104戦。ワールドカップ3回、コパ・アメリカ5回出場。引退後はガラタサライの監督を務める。タファレルの活躍でGKを目指す子供が増えたと言われている。ガラタサライでは長友と同じマンションに住んでいた。

*レオナルド(Leonardo Nascimento de Araujo)
1969年生まれ、2003年引退。MF。DF。愛称「レオ」。 フラメンゴ→サンパウロ→バレンシア→鹿島アントラーズ→パリ・サンジェルマン→ミラン等に所属。ブラジル代表1990年~2001年、国際試合55戦7得点。ワールドカップには2回出場(うち1998年フランス大会では準優勝、1997年コパ・アメリカ優勝、コンフェデレーション・カップ優勝。引退後はミランやインテルの監督、現在はパリ・サンジェルマンのスポーツ・デイレクター。ミラン時代に何回も見た。

*ロベルト・カルロス(Roberto Carlos Silva Rocha)
1971年生まれ、2015年引退。 LDF、LMF。ニックネーム「風小僧」,[ロべカル]。ウニオン・サンジョアン→パルメイラス→インテル→レアル・マドリ―(11年間在籍)フエネルバフチェ(トルコ)ーコリンチャンス→デリー・ディナモス(インド)等所属。ブラジル代表1992年~2005年、国際試合125戦11得点。1996年オリンピック、ワールドカップ3回、コパ・アメリカ2回出場。FIFAワールドカップ・ベストイレブン2回、UEFA最優秀DF賞2回。引退後はロシア、トルコ、インドのクラブ監督を務める。

*リバウド(rivaldo Vitor Borba Ferreira)
1972年生まれ、2014年引退。 FW MF。サンタクルス→パルメイラス→デポルティーボ・ラ・コルーニャ→バルセロナ→ミラン→クルゼイロ→オリンピアコス→モジミリン等に所属。ブラジル代表1993年~2003年、国際試合74戦35得点。ワールドカップ2回出場、2002年日韓大会では5得点。1999年FIFA最優秀選手賞・バロンドール・コパ・アメリカ最優秀選手賞・得点王。2008年以降、出身母体のモジミリンの会長。筆者はブラジルが優勝した2002年日韓ワールドカップの準々決勝のブラジル―イングランド戦(於:静岡)を見学する機会があった。

*ロナウド((Ronaldo Luis Nazario de Lima)
1976年生まれ、2011年引退。 FW。 愛称「フェノメノ」(現象、怪人)。クルゼイロ→PSV(オランダ)→バルセロナ→インテル→レアル・マドリ―→ミラン→コリンチャンス等に所属。ブラジル代表1994年~2011年、国際試合98戦62得点。ワールドカップには4回出場(うち1998年フランス大会では準優勝・最優秀選手賞、2002年日韓大会では優勝・得点王8点)、コパ・アメリカ2回出場・2回優勝・1回得点王。FIFA最優秀選手賞3回、バロンドール2回、スペイン・リーグ得点王2回。ミラノ駐在中の1997年にロナウドがバルセロナからインテルに移籍するということで、セリエAのシーズンチケットを購入し、毎回ロナウドの試合を見ることができた。

*ロナウジーニョ・ガウーショ(Ronaldo de Assis Moreira)
1980年生まれ、2018年引退。MF。FW。愛称「ガウーショ」。グレミオ→パリ・サンジェルマン→バルセロナ→ミラン→フラメンゴ→アトレチコ・ミネィロ等所属。ブラジル代表1999年~2013年、国際試合97戦33得点。ワールドカップには2回出場(うち2002年日韓大会優勝。バロンドール2005年、FIFA最優秀選手賞2004年、2005年。UEFA最優秀選手賞2006年、南米年間最優秀選手賞2013年。常にランキングの上位に位置する選手である。日韓大会の準優勝のイングランド戦でロナウド、リバウドとともに観戦することができた。

*カカ(Ricardo Izecson dos Santos Leite)
1982年生まれ. MF.FW. 愛称「貴公子」。サンパウロ→ミラン→レアル・マドリ―→オーランド・シティ→サンパウロ等に所属。ブラジル代表2002年~2016年、国際試合92戦29得点。ワールドカップには3回出場。2009年FIFAコンフェデレーション・カップ優勝(最優秀選手賞)。2006年~07年UEFA年間最優秀選手賞・UEFAチャンピオンズ・リーグ得点王・最優秀FW賞、2007年バロンドール賞・FIFA最優秀選手賞。背が高く非常にカッコいい人気選手であった。

*アドリアーノ(Adriano Leite Ribeiro)
1982年生まれ、2016年引退。 FW。 ニックネームは「皇帝」(ハドリアヌス)。フラメンゴ→インテル→パルマ→ローマ→コリンチャンス等に所属。ブラジル代表2000年~2010年、国際試合48戦27得点、ワールドカップ2回出場、FIFAコンフェデレーション・カップ2回出場(2005年には最優秀選手賞、得点王)、コパ・アメリカ2004年出場(最優秀選手賞、得点王)。

*ダニエウ・アゥヴェス(Daniel Alves da Silva)
1983年生まれ。 DF。 バイーア→セビージャ→バルセロナ→ユーヴェントス→パリ・サンジェルマン→サンパウロ等に所属。ブラジル代表2005年~ 国際試合114戦8得点、FIFAワールドユース2003年優勝、ワールドカップ2回出場、コパ・アメリカ5回出場(2019年大会最優秀選手賞)、FIFAコンフェデレーション・カップ2回出場2回優勝。FIFA/FIFPro(国際プロサッカー選手会)世界イレブンに6回選出。

*チヤゴ(Thiago Emiliano da Silva)
1984年生まれ。 DF。 ユーヴェントゥージ→ポルト→フルミネンセ→ミラン→パリ・サンジェルマン→チェルシー等に所属。ブラジル代表2008年~ 、国際試合85戦7得点。ワールドカップ3回出場、北京(銅メダル)とロンドン(銀メダル)のオリンピックにも出場。フランス・リーグベスト11,6回、FIFAワールド・ドリーム・チーム2回、コパ・アメリカ・ベスト11(2019年)に選出。

*マルセロ(Marcelo Vieira da Silva)
1985年生まれ。 LDF MF。フルミネンセ→レアル・マドリ―(2005年~ )所属。ブラジル代表2006年~ 国際試合58戦6得点、ワールドカップ2回、北京・ロンドン・オリピック出場、U23代表2回。UEFAチーム・オブ・ザ・イヤー3回、FIFA/FIFProワールドイレブン6回、FIFAワールド・ドリーム・チーム2回選出。レアル・マドリ―一筋でロベルト・カルロスの後継者と言われている。

*ネイマール(Neymar da Silva Santos Junior)
1992年生まれ. FW.。愛称は「Ney」。サントス→バルセロナ→パリ・サンジェルマン所属。ブラジル代表2010年~ 国際試合103戦64得点。ワールドカップ2回出場、オリンピック2回出場(うちロンドン銀、リオ金メダル)。南米年間最優秀選手賞2回、2013年FIFAコンフェデレーション・カップ・ゴールデンボール、2015年UEFAチャンピオンズ・リーグ得点王。メッシ、クリスティアーノ・ロナルドと並び人気、収入ともに最高。

*ブラジルの歴代代表監督
ブラジルは前述のようにFIFAワールドカップで5回優勝している。最初は、1958年で、ヴィセンテ・フェオラ監督、1962年にはアイモレ・モレイラ監督、1970年と2002年は、マリオ・ザガロ監督、1994年は、カルロス・アルベルト・パレィラ監督である。現在の監督はチッチ氏である。

「アルゼンチン」

*オマール・シボリ(Enrique Omar Sivori)
1925年~2005年。 MF、FW。 愛称は「カベソン」(でか頭)。リーベル・プレート→ユーヴェントス→ナポリ等に所属。アルゼンチン代表1956年―57年、19戦9得点、イタリア代表1961年~62年、9戦8得点。1981年バロンドール賞を受賞。引退後はアルゼンチンの4チームで監督を務めた他代表チームでも指揮を取った。

*アルフレド・ディ・ステファノ(Alfredo Stefano Di Stefano Lauthe)
1926年~2014年、1965年引退。FW。愛称は「La Saeta Rubia」(ブロンズの矢)。リーベル・プレート→ミジョナリオス(コロンビア)→レアル・マドリ―(11年間)→エスパニョール等に所属。アルゼンチン代表1947年、国際試合6戦6得点)、コロンビア代表1949年~52年、国際試合4戦0得点)、スペイン代表1957年~61年、国際試合31戦23得点)。1950年代後半レアル・マドリ―がUEFAチャンピオンズ・カップ5連覇を達成したが、その時の中心選手。UEFAチャンピオンズ・リーグ得点王2回、スペイン・リーグ得点王5回、南米年間最優秀選手賞2回、欧州最優秀選手賞2回。引退後は、バレンシア、レアル・マドリ―、ボカジュニアーズ等の監督を務めた。史上最高のサッカー選手の1人で、どのランキングにも顔を出す存在。

*セサル・メノッティ(Cesar Luis Menotti)
1938年生まれ。FW。ロサリオ・セントラル→ボカ・ジュニアーズ→サントス等に所属。選手と言うより指導者として有名。1978年のワールドカップ・アルゼンチン大会では、ケンペスやパサレラ等の活躍で優勝に導いた。監督としては、スペインのレアル・マドリ―、アトレティコ・デ・マドリ―、アルゼンチンのアルゼンチン、ボカ・ジュニアーズ、リーベル・プレート等、メキシコのパチューカ等の監督を務めた。リーベル時代にチリで国際試合を行った時に見る機会があったが、紳士然としていた。

*マリオ・ケンペス(Mario Alberto Kempes)
1954年生まれ、2000年引退。FW。 愛称は「El Matador」(正闘牛士)。インスティトゥート→ロサリオ・セントラル→バレンシア→リーベル・プレート→サンクト・べルテン(オーストリア)等に所属。アルゼンチン代表1973年~82年、国際試合43戦20得点。ワールドカップ3回出場。1978年のワールドカップは優勝、6点を挙げ得点王、最優秀選手賞。1978年南米年間最優秀選手賞。引退後はボリビア等で監督。 ワールドカップ時はテレビ映像で見ていたが非常に目覚ましい活躍であった。

*ラモン・ディアス(Ramon Diaz)
1959年生まれ、1995年引退。FW。 愛称は「El Pelado」(ハゲ)。リーベル・プレート→ナポリ→フィオレンティーナ→インテル→モナコ→横浜マリノス等に所属。アルゼンチン代表1979年~82年、国際試合22戦10得点。1979年FIFAワールドユース大会で、マラドーナとともに出場、8得点をあげ大会得点王、最優秀選手賞。1991年~92年、アルゼンチン・リーグ得点王。1993年Jリーグ横浜マリノスで28得点を挙げ、初代得点王となった。

*ディエゴ・マラドーナ(Diego Armando Maradona)
1960年~2020年11月25日。FW。 愛称は「神の子」。ボカ・ジュニアーズ→バルセロナ→ナポリ→セビージャ→ニューウエルズ・オールドボーイズ→ボカ・ジュニアーズ所属。アルゼンチンU-20代表1977年~79年、24戦13得点、アルゼンチン代表1979年~94年、91戦34得点。ワールドカップには4回出場、うち1986年メキシコ大会は優勝。ナポリ時代の1986年~87年には、ナポリを史上初のリーグ優勝に導いた他、1989年~90年もリーグ優勝を遂げた。1978年FIFAワールドユース選手権〈日本大会〉で最優秀選手賞、1986年ワールドカップ最優秀選手賞、アルゼンチン・リーグ得点王2回、セリエA得点王2回。1986年ワールドカップの準々決勝のイングランド戦では、有名な「神の手ゴール」と「五人抜き」が大きな話題となった。現役時代から薬物やマフィアとの繋がりも話題となった。引退後は、アルゼンチン、アラブ首長国、メキシコのチームの監督、2008年ワールドカップの代表監督を務めた。2020年11月25日にマラドーナの死亡が報道されると、アルゼンチンのみならず全世界が悲しんだ。筆者は幸運にも、マラドーナの試合を3回見ている。1回目は、1986年のワールドユース大会、後の2回は、セビージャ万博時代のセビージャ在籍時である。

*ガブリエル・バティストゥータ(Gabriel Omar Batistuta)
1969年生まれ、2005年引退。FW。 愛称は「師子王」。ニューウエールズ→ボカジュニアーズ→フィオレンティーナ→ローマ→アル・アラビー(カタール)等に所属。アルゼンチン代表1991年~2002年、国際試合79回54得点。ワールドカップ3回出場、98年フランス大会では5得点をあげシルバー・ブーツ賞。1991年、93年コパ・アメリカ得点王。イタリア・セリエAの外国人最多得点保持者。フィオレンティーナには9年在籍したが、フィレンツエでは英雄的存在であった。「バティゴール」と呼ばれ、強烈なゴールを連発した。ミラノ駐在時代には何度も見る機会があり、金髪のライオンのようにスタジアムを駆け回る姿は印象的であった。

*ハビエル・ザネッティ(Javier Adelmar Zanetti)
1973年生まれ、2015年引退。 DF、MF。愛称「El Tractor」(トラクター)、「Il Capitano」(キャプテン中のキャプテン)。 CAバンフィエルド→インテル(19年在籍)。アルゼンチン代表1992年~2011年、国際試合143戦5得点(アルゼンチン最多出場記録)。ワールドカップ2回、コパ・アメリカ4回出場、アトランタ・オリンピックで準優勝。現在インテルの副会長。チヤリテイ活動にも積極的。ミラノ駐在時代はインテルのシーズンチケットを持っていたので頻繁に見ることができた。

*ロベルト・アヤーラ(Roberto Fabian Ayala)
1973年生まれ、2010年引退。 DF。愛称は「El Raton」(鼠)。リーベル・プレート→ナポリ→ACミラン→バレンシア→サラゴサ→ラシン等に所属。アルゼンチン代表1994年~2007年、115戦(ザネッテイにつぐ2位)7得点、代表キャプテンを62試合務めた。ワールドカップ3回出場。1996年アトランタ・オリンピックで銀メダル、2000年アテネで金メダルを獲得。

*エルナン・クレスポ(Hernan Jorge Crespo)
1975年生まれ、2013年引退。FW。愛称は「ゴールエリアの鷲」。リーベル・プレート→パルマ→ラツイオ→チェルシー→インテル→パルマ等に所属。アルゼンチン代表1995年~2007年、国際試合54戦35得点。ワールドカップ3回出場、アトランタ・オリンピック銀メダル(得点王)。アルゼンチン・リーグとセリエAで得点王各1回。パルマでの94得点はクラブ記録。引退後はイタリア、アルゼンチンで監督、現在はFCサンパウロの監督。

*フアン・セバスティアン・べロン(Juan Sebastian Veron)
1975年生まれ、2014年引退。 MF。 愛称は「La Brujita」(小さな魔法使い。)エストゥディアンテス→サンプドリア→ラツィオ→マンチェスターユナイテッド→チェルシー→エストゥディアンテス等に所属。アルゼンチン代表1996年~2010年、国際試合73戦9得点。ワールドカップ2回出場。アトランタ・オリンピック銀メダル。2008年、09年南米年間最優秀選手賞、2009年コパ・リベルタドーレス杯最優秀選手。現在はエストゥディアンテス会長。スキンヘッドで有名。

*ハビエル・サビオラ(Javier Pedro Saviola Fernandez)
1981年生まれ。 FW。 愛称は「El Conejo」(うさぎ)。リーベル・プレート→バルセロナ→レアル・マドリ―→ベンフィカ(ポルトガル)→リーベル・プレート等に所属。アルゼンチン代表2000年~07年、40戦11得点。1999年南米年間最優秀選手賞・アルゼンチン・リーグ最優秀選手賞。

*カルロス・テベス(Carlos Alberto Martinez Tevez)
1984年生まれ。 FW。 愛称は「El Apache」(アパッチ)。ボカ・ジュニアーズ→コリンチャンス→マンチェスター・ユナイテッド→マンチェスター・シティ→ユーヴェントス→ボカ・ジュニアーズ等に所属。アルゼンチン代表2004年~15年、国際試合76戦13得点、ワールドカップ2回出場、2004年アテネ・オリンピックで優勝(得点王)。2002年コパ・リベルタドーレス最優秀選手賞、2003年~05年3年連続南米年間最優秀選手賞、2005年ブラジル・リーグ最優秀選手賞、2010年~11年プレミア・リーグ得点王。コリンチャンス時代にサンパウロのパカエンブ―・スタジアムで試合を見る機会があった。

*ハビエル・マスケラーノ(Javier Alejandro Mascherano)
1984年生まれ。DF。 リーベル・プレート→コリンチャンス→リバプール→バルセロナ→エストゥディアンテス等に所属。アルゼンチン代表2003年~18年、国際試合147戦3得点、ワールドカップ4回出場。アテネと北京オリンピックで金メダル獲得。2011年・15年、FIFAクラブワールドカップ、UEFAスーパーカップでバルセロナ優勝。

*リオネル・メッシ(Lionel Andres Messi Cuccittini)
1987年生まれ。 FW。愛称は「レオ」。 FCバルセロナ所属。アルゼンチン代表2005年~ 138戦70得点、ワールドカップ出場4回、コパ・アメリカ出場4回。バルセロナを10回、リーガ・エスパニョーラ優勝に導いた立役者。ポルトガルのクリスチアン・ロナルドと並ぶバルセロナ一筋のスーパースター。バロンドール賞6回、FIFAワールドイレブン14回、UEFA欧州最優秀選手賞2回、FIFAワールドカップ・ゴールデンボール賞1回、FIFAクラブワールドカップ・ゴールデンボール賞2回、UEFAチャンピオンズ・リーグ得点王6回 等々数え切れないほどの賞を受賞している。サッカーのあらゆるランキングで上位を占めている。

*ゴンサロ・イグアイン(Gonzalo Gerardo Higuain)
1987年生まれ。FW MF。愛称は「El Pepita」。リーベル・プレート→レアル・マドリ―ナポリ→ユーヴェントス→ACミラン→チェルシー→インテル・マイアミ等に所属。アルゼンチン代表2009年~18年、国際試合75戦31得点。ワールドカップ4回出場、コパ・アメリカ3回出場。セリエA得点王1回、ベストイレブン2回、UEFAヨーロッパ・リーグ、ベストイレブン2回。

以  上