執筆者:後藤 猛(NPO法人 イスパニカ文化経済交流協会理事)
イスパニカ文化経済交流協会を通じて行っているクエンカへの留学を体験された学生の皆さんの感想を聞いてみますと「語学の難しさを再認識したこと」や「日本を改めて見つめ直す良い機会になったこと」等の感想が多く聞かれ、それぞれ大変貴重な体験をされたようです。
今や世界の情報が素早く入手できる時代になっておりますが、私が、1973年に初めてポルトガルに滞在した当時、リスボンから日本に電話をかける場合には、まず、一旦電話局に申し込んだ後、15分ほどしてから電話局から連絡があり、ようやく日本につながるような時代でした。しかし、今やインタ―ネット等を通じ瞬時に世界中の情報を入手することが出来る時代になりました。そして、近年、幼少期から外国語に親しむ教育が行われており、外国語や外国の文化をより身近に感じることが出来る時代になってきております。
しかしながら、「聞くと見るとでは大違い」という言葉通り、やはり現地に赴き、生活を実体験することが、外国を理解する上で重要なことだと思います。
近年、日本を訪れる外国人の数も増え、テレビ番組では、訪日して不思議に思ったことについて語ってもらう番組があります。そうした中で、外国人も日本を訪れ、同様に異文化体験をしており、日本人にとっての常識が、訪日外国人にとっては、驚きになっていることもあります。
私は、ブラジルで勤務した経験がありますが、日本に留学したブラジル人学生に帰国後、日本で驚いたことについて聞いてみましたところ、「電車の車内でよく眠っている人の姿を見かけることや大人の人が車内で漫画を見ていること」「背広ネクタイ着用している人が酔っぱらって駅のベンチで寝ている人を見かけたこと」等でした。
これらは、日本人からすると特に気に留めることでは有りませんが、ブラジル人には、驚きに感じたようです。
勿論、日本人同士、日本国内においても感じ方は人それぞれ異なりますし、地方によっても感じ方が異なることがあります。例えば、雪の少ない地域の人々と豪雪地帯の人々とは、雪に対する感じ方は異なることでしょう。
ましてや、外国で生活するとなると、宗教や文化そして生活習慣が異なることから感じ方が異なりますので、日々の生活の中で、様々な異文化体験をすることになります。
また、日々の時間の過ぎていく感覚ですが、同じ時間が過ぎていく中で、面白いことに日本にいる時の時間と外国にいる時とでは、別の時間の流れを感じることが有ります。例えば、古い街並みの町角で道行く人々を前にしながら、カフェでくつろいでいると、何となく足元を包み込むようにゆったりと時間が流れているように感じることがありました。また、歴史ある荘厳な劇場で開幕30分前ぐらいに席に座っていると、日本では、味わうことの出来ない独特の雰囲気と時間を味わうことが出来ました。また、幕間には、地元の人が、ゆったりとシャンペンやコーヒーを片手に友人とおしゃべりしている時など、ここでも時間がゆったりと過ぎる感覚を覚えました。
もし、海外に留学した場合には、現地の色々な所へ行かれることをお勧めします。若くして留学した場合には、その若く研ぎ澄まされた五感が反応し、今までとは異なった視点で物事を考えるきっかけになったりすることもあると思いますで、非常に大切なことだと思います。
また、私が、海外に住んでいて、外国語の勉強について感じたことは、外国語を学ぶことは、日本語を学ぶ事であるということでした。具体的にお話ししますと、海外で、現地の新聞報道を要約し、伝える仕事もしましが、その際、外国語の内容をいかに的確に母国語である日本語に要約して伝えることでした。その際、いかに日本語の知識が重要であることを痛感し、外国語を学ぶことは、日本語を学ぶ事であると思った次第です。
ある時、国際会議が行われた際に民間通訳会社の日本人の同時通訳者とお会いする機会がありましたが、その方の話し方は、そのまま文章として書けるようなきれいな日本語で話しておられたことが印象的でした。その際、改めて母国語である日本語の大切さを感じました。
外国語で話している夢を見るようになると語学は上達している印だといわれています。語学の勉強は、奥が深く限りが有りませんが、留学をすることは、既に述べましたように、単に、語学のみならず、日本を再認識したり、また、何かのきっかけをつかむ機会となることも有ると思われます。
今、世界では、グローバル化が進んでおりますが、留学を通して得た体験をもとに多様性を受け入れることの出来る多くの国際人が育っていくことを期待致しております。