「広報活動奮戦記」

日本館を人気館にするには、効果的な広報活動が欠かせない。私も、ジェトロで長年広報PR事業を担当していたので、大いに力を入れた。博覧会公社の広報部とは緊密な関係を保った。結果的には、日本館は、他のパビリオンに比較し、うまく広報活動を行ったのではないかと思う。日本館建設時から、日本館は注目されており、開会前にセビリャを訪れた各国元首は、公社の要人から必ず日本館につき説明を受けていた。折に触れて、記者発表も行った。例えば、日本館の礎石式、日本館の建設風景、盛田政府代表セビリャ訪問時の記者会見、回転劇場床機構の完成時、安土城内部の工事風景、プレビュー、ジャパン・デーの概要等である。広報資料も充実させ、広報班のスタッフも広報センスのある優秀な人物を配置した。スペインや内外プレスも頻繁に日本館を訪問し、コンスタントに報道された。

「ピンバッジ収集奮闘記」

博覧会と言えば、必ずパビリョンのピン収集がブームになる。訪問者は、帽子やシャツに収集した各パビリョンのピンバッジをつけ誇示する。あらゆるコレクションと同じで、一度やると止められなくなる。私もこの罠にはまり、日本館の多くのスタッフやアテンダントと同様にセビリャ万博会場でピンバッジ収集に乗り出した。最初は、日本館のピンバッジと他館のピンバッジを交換する方法を取っていたが、会期を半ば過ぎるような時期になると、ピンバッジ交換市場なるものが現れた。その場所に行くと、ピンバッジがたくさん展示してあり、自分のピンバッジを提供し、気に入ったピンバッジと交換するという方法である。ピンバッジの種類の豊富さに圧倒されるとともにピンバッジ収集もなかなか奥深いものだということに気づくことになる。私も100個以上のピンバッジを収集した。事務局スタッフやコンパニオンには、常に交換できるように日本館のピンバッジを渡していた。

「日本館訴えられる」

日本館が訴えられた事件が1件と訴えられそうになった事件が1件あった。訴えられそうな事件とは、日本館のアテンダントの女性が、電気自動車に乗っていた時に、たまたまEUの職員にぶつかった事件である。これは何の問題もなく解決した。もう一つの問題は、日本館のアテンダントを管理する女性インストラクター(日本人)に関わる事件である。彼女が、日本館に働くスペイン人の女性アテンダントの姿勢を正そうと背中にふれたところ、そのアテンダントが、「空手で背中を叩かれた」とあらぬ嫌疑をかけ、セビリャの裁判所に訴えたのである。当方からすると寝耳に水であり、当のインストラクターに尋ねたところ、空手も知らないし、単に姿勢を正すために背中をさすっただけと言う。結局裁判になり、日本館からも裁判所に古谷朋彦事務局員(現在グアテマラ日本大使)が出頭した。数回裁判所で審議があったが、相手側も勝ち目が無いと判断して、訴訟を取りやめることになった。背後に彼女をそそのかす男性がいたとかインストラクターとアテンダントの中が悪かったとかいろいろな噂話があったが、真相は不明である。

「日本人コンパニオンとスペイン人コンパニオン」

セビリャ万国博覧会の日本館には、102名のコンパニオンが働いていた。日本で採用した日本人コンパニオン(全員女性)が30名、スペインで雇用した72名のスペイン人コンパニオン(一部男性も含む)である。その他には、ジェトロ・スタッフ、事務局員、メインテナンス要員、レストラン・売店関係者、警備・清掃を入れると総勢300名の大所帯であった。日本人の研修は、出発前にも行っており、準備万端で業務の内容、日本館の概要等の情報も十分に把握していた。一方スペイン人については、現地セビリャで行った。日本は博覧会大国ですべて早め早めに事を進めて行く数少ない参加国の1つである。セビリャでも他館と比較するとしっかりスペイン人対象の事前研修を行ったがやはり日本人ほどはスムースにはいかない。博覧会はポスト数で数えるが、例えば、展示場の折り紙コーナーの担当は3人が順繰りに担当する。何故なら、博覧会は展示会と違って、会期中休みなしかつ1日、12時間と長時間、開館しているので、ローテーションを考えると1つのポストに3名が必要となる。最大の問題は、いかにポストを守るかという点である。日本人の場合、よほどのことがない限りポストを離れず、来客者に丁寧に対応する。しかし、スペイン人の場合、かなり頻繁にポストを離れるのである。例えば、自分の友人や家族が来ると、日本人から見ると大げさな挨拶を交わし、直ちに自分のポストを離れ、日本館を嬉々として案内する。善意に考えると、親切心で自分の知り合いにできるだけ日本館をよく見てもらいたいという意図であるが、日本人から見ると、極めて無責任に写る。そのため、日本人からはたびたびスペイン人の持ち場離れには厳重に注意して欲しいというクレームが出された。一方、スペイン人の優れたところは、来館者を喜ばせる技術である。折り紙のデモンストレーションをやらせてみてもイベントの司会・進行役をやらせてみてもものの見事にやってのける。デンマークのマルゲリータ女王が日本館を訪問されたときにも折り紙コーナーを大いに楽しまれた。双方の良い点を活用し、良好な関係を維持していくのは容易なことではなかった。

「皇太子殿下の日本館訪問」

7月20日のジャパン・デーには皇太子殿下が来られた。皇族しかも皇太子が来られるとなると、事前に十分な準備がなされ、受け入れの詳細が書かれたロジ・ブックも相当分厚いものになる。当日は、典型的なセビリャの夏で、40度を超えていたが、猛暑の中、ジャパン・デーの式典も無事終わった。皇太子殿下は、スペイン語も交えながら、素晴らしいスピーチをされた。その後、日本館に訪問された。我々は日本館での受け入れにつき、詳細まで準備していた。日本館前で、盛田政府代表、増田ジェトロ理事長、井上日本館館長がお迎えし、安土城の展示の前で、記帳をお願いした。安土城の展示は、天守閣の6階・7階を再現したものだが、靴を脱いで上がることになっていた。スペースも限られていたので、10名くらいに限定して上がってもらうことになっていた。舎人と呼ばれる皇太子殿下のお世話係は私に対して、上に上がる人には決して皇太子殿下の靴を踏ませないようにと強く警告した。しかし、当初、10名のみが展示室に上がることを想定していたにも拘らず、さらに予定外の10名がドドッと上がったのである。中には皇太子殿下の靴を踏んだ人もいた。舎人は、カンカンになって怒った。問題は、その後に起こった。説明が終了し、皇太子殿下が降りて靴を履く段階になって、舎人がわたしに、「靴ベラ、靴ベラ」と騒ぎ出した。靴ベラを事務局まで取りに行くには、最低でも3分は必要である。それまでは待てないということになった。結局、皇太子殿下は、ゆっくりと靴ひもを緩められ、堂々と威厳を持って靴をお履きになったのである。さすが皇太子殿下という感じであった。日本館で靴べらを用意しなかったのはミスかもしれないが、お世話係の舎人が靴ベラを用意していないのも問題だと思った。