執筆者:桜井 悌司(NPO法人イスパJP)
エピソード9 神がかりマジック
アラブ世界で、インシャラー Inch’Allah(アラーの思し召しのままに)というのがある。スペイン語世界でも、Gracias a Dios(神のおかげで)という言葉をよく聞く。またDios(神)が出て来る言葉・慣用語は、西日辞典をみてもたくさん出てくる。例えば、
Cuando Dios quiera (いずれ、そのうちに)
Si Dios quiere (事情が許せば)
Adios Anda con Dios Vaya con Dios (さようなら、神の元へ)
Dios mio (何ていうことだ)
Dios se lo pague (神の御恵みがありますように)
Dios sabe (神のみぞ知る) 等々である。都合の良い時だけ、Diosの名前を使われるので神様も不愉快かも知れないと思ってしまう。
スペイン語を習い始めた時に、再帰動詞というのを学ぶことになる。今でも、しっかり覚えている文章が2つある。 1つは、Se me cayo el plato.(お皿を落とした)である。日本語ならば、「私が皿を落としました」と主語が私になるところであるが、スペイン語では、主語が皿で、ニュアンス的には「皿が勝手に私の手から落ちてしまった」となる。要は、私が落としたのではないと言っているようだ。もう一つは、Se me olvido.(忘れてしまった)である。これも日本語であれば、私が主語になるが、スペイン語では、「何かが私を忘れさせてしまった」となるのである。すべて神様の思し召しと言った感じである。自分の失敗は、極力認めないということもあろう。海外で働く日本人は、このようなことを理解しておく必要がある。
エピソード10 騙される方が悪いというマジック、
フランス文学者の鹿島茂先生の「『悪知恵』の勧め」という本を読んでいたら、フランスに「振り込み詐欺」は発生しないという一文を見つけた。その後、「フランス人なら、いくら相手が巧みな詐欺師だとしても、見ず知らずの人間からの電話をそのまま信じて数百万円を振り込むなどいうことはまず絶対にあり得ないし、また、たとえそういうことが起こったとしても「騙されたほうが悪い」という論理で簡単に片づけられてしまうからである。」と続く。私が住んでいたスペイン・ラテン、イタリア・ラテン、ポルトガル・ラテンでも、フランス人ほど懐疑的ではないが、基本的に同じで、騙されたほうが悪いと考える傾向にある。日本人も一度、海外に出ると、他人は騙すもの、危険な人には近づかないと心得たほうが良い。基本的に、性善説ではなく性悪説を奉じる人が多い。日本人は、どちらかというと性善説の人が多いので、容易に騙されるケースが多いのである。鹿島先生は、その理由として、日本の核家族化を挙げている。要は、昔のように大家族であれば、相談できる人もいるが、今や、家族がバラバラなので相談する人がいなくなり、簡単に騙されるのだという。この点、ラテンアメリカでは、家族の結束が固く、毎日のごとくママに電話したり、週末ともなれば、家族で集まるといった習慣があるので、振り込め詐欺が立ち入る余地は全くないのだ。そこで、日本人は、「振り込み詐欺」や「オレオレ詐欺」に対処するには、少しでも変な電話や連絡があった場合は、まずは疑ってみる、とりわけ知らない人からの連絡は、決して相手にしないということであろう。
エピソード11 盗まれる方が悪いというマジック
同じように、盗難、ひったくり、置き引き等にあった場合でも、「盗られたほうが悪い」ということで、あまり同情されない。警察に訴えても、盗難証明書は出してはくれるが、決して犯人を捕まえてくれるようなことはない。1992年にスペインのセビリャで万国博覧会が開催された。その時に、みんなで夕食に出かけ、cuidador《見張り人》のいる駐車場で車を駐車した。安心して食事を済ませ、上機嫌で車に戻ってみると、三角窓が割られ、カーステレオとスーパーで購入した食品が盗難にあった。翌日、警察に行き、事情を説明し、盗難証明書を出してもらったが、同情してくれるわけでもなく、極めて事務的に10分で発行してくれた。あまりの手際よさに、こちらも半分冗談で、「また盗難に会うかも知れないので、次は、こちらで記入して、申請します。」と言ったところ、申請用紙を提供してくれた。
ミラノに駐在していた時には、有名な大聖堂のあるドゥオモ広場でジプシーのグループの襲撃に何回か遭遇した。幸いにもすべて撃退したが、何故自分が襲われることになったのかと考えた。その結果、「ぼおーっと考えていた」、「観光客のように地図やガイドブックを見ていた」、「周りの状況を見ていなかった」等の状況であったことがわかった。要するに、こちらに大きなスキがあったのである。それ以降は、180度周りを見回し、一団がやって来るのが見えると、避けることにした。日本人の知り合いもよくこの種の盗難や置き引き等の被害にあった人も結構いたが、統計的に言うと、海外旅行に超慣れている人とまったく慣れていない人は、あまり被害を受けない。海外旅行に、少し慣れて変に自信をつけた人が被害を受けることが多い。
エピソード 12 寛容性マジック
ラテンアメリカというと「贈収賄」とか「腐敗」という言葉が頭に浮かぶ。Transparency Internationalという国際機関が、毎年、「Corruption Perceptions Index」(腐敗感知度指数)というのを発表している。180カ国を対象に腐敗殿ランキングを発表しているのだが、2018年の調査によると、ラテンアメリカ諸国のランキングは、下記の通りである。
ランキング | 国 名 | ランキング | 国名 |
23位 | ウルグアイ | 114位 | エクアドル |
27位 | チリ | 129位 | ドミニカ共和国 |
48位 | コスタリカ | 132位 | ホンジュラス |
61位 | キューバ | 132位 | パラグアイ |
85位 | アルゼンチン | 138位 | メキシコ |
93位 | パナマ | 144位 | グアテマラ |
99位 | コロンビア | 152位 | ニカラグア |
105位 | ブラジル | 161位 | ハイチ |
105位 | エルサルバドル | 168位 | ベネズエラ |
105位 | ペルー |
ほとんどの国が100位以上である。これは腐敗度、増収賄度が相当進んでいることを意味する。
最近の典型的な例は、ここ数年ブラジルでおこった「ラバジャット事件であろう。国営石油公社であるペトロブラスを中心とした贈収賄事件である。金額、内外の贈収賄の範囲等、日本人の感覚からみて驚くべき事件である。、では、このような贈収賄は、どうして起こるのであろうか?
ラバジャット事件から、日本人とブラジル人やラテン系の国民性も考慮し、2つの点を指摘したい。1つは、寛容度と許容度の相違、2つ目は、リカバリー・ショットの有効度の相違である。ブラジルやラテン系の人々は、総じて寛大な性格を持っている。自分に対しても他人に対しても寛大である。時間に対しても寛大だし、お金に対しても、寛大である政府予算などは、時折ルーズとも思われる時もある。どこの国でも、贈収賄は罪であり、法律に抵触する。そのことは誰もが知っていることである。しかし、ここで問題となるのは、どの程度までが、大目に見られるのか、許容範囲なのか?ということである。日本とラテンアメリカでは相当大きな、相違があると思える。例えば、日本の場合、公私混同は嫌われるところであり、ラテンの世界から見ると十分に許される、極めて些細な公私混同も排除されがちである。ネポテイムズに対しても慎重であり、限度を心得ている。贈収賄額にしても、前述のように、ラテン人なら何の関心も呼ばないほどの小額でも反応する。これに対して、ブラジルやラテンの世界では、公私混同の幅が日本と比べ、相当広く、アミーゴにでもなると、日本人から見ると、公私混同と思えるようなことをダメ元で頼んでくる。ラテン系のアミーゴを持った人なら経験したことであろう。しかし、これはどちらかというと公私混同の限度に関わる問題であり、どちらが正しいというような問題ではない。
ラテンの世界では、貧富を問わず、政府、政府機関、公社公団、企業で出世し、収賄者の仲間に入るくらいになると、一族郎党やアミーゴが黙っていない、何とか出世者がもたらす恩恵や甘い蜜にたかろうと集まってくる。仮に一人だけ清廉潔白でいたいと思っても決して一族郎党、アミーゴは許してくれないだろう。そんなことをしようものなら、一族郎党やアミーゴ仲間から爪弾きされる。特に貧困層出身者の場合、一族郎党は千載一遇の機会を逃すはずがない。日本の場合もネポテイズムが存在するが、元々許容度の幅が狭いのと、少しやりすぎるとマスコミ沙汰になることもあり、限定的と言える。日本人は、総じて裕福で、他人に頼ることを潔しとしないという性格も影響しているのかもしれない。
エピソード 13 リカバリー・ショット・マジック
ブラジルやラテンの世界では、一度又は数度、悪いことをして、有罪になった人でも、再び、三度、表舞台に出てしぶとく活躍する人が少なくない、特に政治家に多くみられる。日本では、名誉回復のためのゴルフでいう名誉回復・失地回復のための「リカバリー‣ショット」はなかなか認められない。一度でも破産したり、事業に失敗したり、犯罪をおかしたり、麻薬に手を出したりするとすると、なかなか許してもらえない。いじめにあったり、いつまでもうわさされたりするし、子供や家族にまで影響が及ぶ。その後成功しても名声に尾を引くケースが少なくない。ある意味で行き過ぎとも思えるくらいである。ラテン世界では、寛容度の幅が大きいので、「リカバリー・ショット」に対して、総じて寛大である。表舞台に出てきた人物もあたかも何も悪いことをしなかったかのように堂々と振る舞うのを常とする。この点も、贈収賄問題が繰り返されることと関連してくるように思える。日本のように極端にリカバリー・ショットを認めないような社会は、委縮しすぎになる傾向にある。ラテン社会のように、リカバリー・ショットがいつでも許されるとなると悪がはびこることになる。日本とラテンの折衷くらいが望ましいと言えよう。
エピソード 14 ポピュリズム大好きマジック
一般国民とりわけ貧困層からすると、施政者が人気取りのためであっても、給与を上げてくれたり、福祉政策を充実させてくれたりするのは、大歓迎であろう。今やポピュリズムが全世界に蔓延しているようでもある。
施政者にとっては、運不運が大いに影響する。ラテンアメリカの場合、石油、天然ガス、鉄鉱石、銅鉱石等の鉱物資源、小麦、大豆、とうもろこし等の農業資源の価格が好調の時の施政者は、ラッキーである。50年代のアルゼンチンのペロンによる労働者優遇政策、近くは、アルゼンチンのキルチネル政権、ブラジルのルーラ政権、ベネズエラのチャベス政権、ボリビアのモラレス政権はラッキーであったと言うべきである。しかし、一度、資源価格が下落すると、全ての思惑が破綻する。しかし、バラマキに慣れた国民は、あくまでもポピュリスムを支持する。この現象が繰り返し繰り返し続くことになる。第三者から見て、「またか」とため息も出る。まるで魔法のように繰り返されるのである。